中村三奈子さんをさがす会と新潟県長岡市が「特定失踪者と拉致問題を考える市民集会」を開催

特定失踪者と拉致問題を考える市民集会

中村三奈子さんをさがす会と新潟県長岡市は10日、アオーレ長岡(長岡市)で「特定失踪者と拉致問題を考える市民集会」を開催した。新潟県と一般社団法人長岡青年会議所が後援した。会は例年9月に開催されているが、今年はこの時期に長岡市などに新型コロナウイルス感染症の特別警報が発令されていたことから、この日の開催となった。

中村三奈子さんは県立長岡高校を卒業したばかりの平成10年4月6日、予備校に入学金をおさめるため自宅を出て以降、忽然と行方がわからなくなった。翌7日に新潟空港から韓国に出向した記録があり韓国に行ったとされるが、以降、韓国から出国した記録はない。また平成15年7月に、特定失踪者問題調査会より「拉致の可能性を完全に排除できない失踪者(特定失踪者)」として公表されている。

この日の会では、三奈子さんの母である中村クニさん、長岡市の磯田達伸市長、新潟県拉致問題調整室の澁谷武室長、特定失踪者である大澤孝司さんの兄・大澤昭一さん、三奈子さんの同級生である井口明彦さんが、拉致問題解決への思いを語った。

中村クニさん

中村クニさんは「(三奈子さんは)この9月で42歳になった。42歳の大人になってくれていると思うが、とにかく顔を見たいし、帰ってくるのを待っている。(ただ)拉致問題が先に進まないということで歯がゆい状態。私自身もコロナ禍のための活動ができなくなっているが、私たちの訴えが首相のところに届いて一刻も早く拉致問題が解決してくれたらと願っている」と訴えていた。

また、クニさんは、元週刊文春記者で現在ソウル在住のノンフィクションライターである菅野朋子氏(後述)についても言及。「2011年、文藝春秋に記事を出していただいた。その時からずっとお付き合いさせていただいている。私も2年に1回韓国に行って大使館や警察署に行ったり、スーパーや知り合いのところにチラシを届けてきたが、そんな時にはいつも菅野さんがそばにいてくれて私を支えてくださってきた」と語っていた。

チラシ

この日の会では、その菅野氏が、ソウルからオンラインで韓国内での三奈子さんの捜査状況などについて報告した。「警察署では(三奈子さんの)指紋とDNAを採取して保管していて、韓国のさまざまな施設で照会作業を行なっているが、残念ながら該当者は出ていない。他にも韓国から電話をかけた人物を捜査したりしていた」という。

また、三奈子さんの所在についての告発状もあったそうだ。自分の知り合いが、日本の女の子(三奈子さん)と一緒の飛行機に乗って金浦空港を出ると2人が接近してきたといった内容だったという。ただ警察署では、この話に曖昧な部分が多いと判断したそうだ。

さらに、20年以上の写真では情報収集が難しいとして、2019年にクニさんの了解のもと、両親と三奈子さんの写真から40歳になった三奈子さんの写真をコンピュータで作成している。

一方、三奈子さんについては韓国への出国記録があるものの、旅行社に対しハスキーな声(別の人の声)で「できるだけ早い便の航空券がほしい」と周囲が思い当たる理由もなく出国を急いだり、外国旅行経験がないのに「韓国に行ったことがあるのでホテルの手配は必要ない」と伝えたりと疑問点が多いという。

こうしたなか、菅野氏は、三奈子さんの行方について、「入国カードの筆跡はクニさんもご覧になっているが、三奈子さんのものだが、当時の金浦空港の防犯カメラの映像は残念ながら残っていない。では韓国に入国したのであれば連絡が取れないのはなぜなのか?と考えたときに、ある宗教団体に入った場合は地方の山深いところで暮らす人もいる。そうした方々は大使館に在留届を出さず、韓国で暮らしていても把握できない状態になる。ただ、引っかかるのが結婚して韓国にいるという方が多いなか、(三奈子さんの)日本の戸籍が動いていない。ということはそうした団体ではなく別の可能性(北朝鮮による拉致)も考えられる。そうした場合、韓国に入国したのは別の方ということになる」などと説明していた。

なおクニさんの韓国における活動を心強くサポートしているのが新潟県のソウル事務所で、「今年規模が縮小されたのは残念」と話していた。

会場では拉致被害者や特定失踪者に関するパネルが展示されていた

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