【Thank you Max!】新潟県出身の私にとって、Maxは特別な存在

先日10月1日、国内唯一のオール2階建て新幹線「E4系 Max」の定期運行が終了し、多くの方に惜しまれ、ラストランを迎えました。

1997(平成9)年に東北新幹線でデビューし、2001(平成13)年に上越新幹線でも運行をはじめ、新潟⇄東京を約20年もの長き間、多くの人を乗せて駆け抜けました。

中でも、

雪などの悪天候の中でも力強く走る姿は、上越新幹線ならではの光景で印象的でした。

定期運行終了後の翌週、10月9日(土)・10日(日)にはMaxが走った思い出の地を駆け巡る、旅行専用列車「サンキューMaxとき&やまびこ号」として、新潟⇄大宮⇄盛岡間を運行。

かつて、Maxが駆け抜けていた、東北新幹線内では「Maxやまびこ号」の車内アナウンスも聴けたようで、懐かしいとの声がSNSなどで話題になりました。

また、10月16日(土)・17日(日)には、「サンキューMaxとき号」として、新潟⇄東京間を再び、旅行商品専用列車として運行します。

この日以降、今のところは最新の運行情報を聞かないので、もしかしたら、この運行が本当のラストランになるのかもしれません‥。

『Max=Multi Amenity express』

・M(マルチ) ▶︎ 様々な面で

・A(アメニティー) ▶︎ 快適さを追求した

・X(エクスプレス) ▶︎ 高速鉄道

諸説ありますが、その名の通り活躍したのは間違いなく、「新潟=上越新幹線=Max」というイメージも定着していた事でしょう。

沿線住民の足として活躍したのはもちろんですが、仕事・観光やウィンターシーズンなど、様々な需要に大いに活躍してくれました。

新潟県出身の私にとって、「Max」は特に思い入れのある新幹線。

Maxが高架上を堂々と走る姿は日常的な光景であり、迫力ある姿は子供の頃から憧れる大好きな新幹線でした。

私自身は高校を卒業して、東京に約10年間住んでおり、新潟へ帰省する際は何度利用したか分からない程、大変お世話になりました。

振り返ると、18歳で上京した時もMax、31歳で新潟へUターンする時もMaxであり、

Maxが私の成長を見守ってくれ、共に成長したと言っても過言ではありません。

楽しい時も、嬉しい時も、悲しい時も、辛い時も、いつもMaxがそばにいてくれました。

Maxラストラン当日、10月1日(金)。

新潟は台風接近の影響により、朝から雨が降り続きました。

もしかしたら、Maxの悲しみの雨だったのかもしれません。

新潟駅構内では、記念グッズ販売の特別イベントも行われ、朝から別れを惜しむ人で溢れていました。

新潟駅を発着するラストのMaxは、20時21分発「Maxとき348号 東京行」。

ホーム入線前から最後の勇姿を見送ろうと、鉄道ファンに限らず、数えきれない程の多く人が集まり始めました。

一枚でも多くの写真を撮ろうと、撮り納めをする姿が至る場所で見受けられ、私も最後のMaxの雄志を見送ろうと、ホームの片隅で待機をしていました。

そして、「Maxとき348号 東京行」の発車時刻、20時21分。

写真や動画を撮る人、手を大きく振る人、グッズと共に見送る人、大きな拍手をする人、「Maxありがとう」と大きな声で叫ぶ人‥。

その姿を横目で見ながら、Maxとき348号は悲しそうに警笛を鳴らし、寂しそうな表情をして東京駅へと向かいました。

私も「男泣きはしない!」と決めていましたが、Maxとの色々な思い出が込み上がり、目に涙を浮かべながら見送りをしました。

そして、ホームからその姿が見えなくなるまで、別れを惜しむ声が鳴り止む事はありませんでした。

Maxは運行開始から20年以上経過し、車内設備の老朽化や時代と共に速達性が求められ、新型車両「E7系」への置き換えらます。

定期運行ラストランから、一週間たった今。

いつも見ていた、Maxがいる風景が見れなくなったのが不思議な感覚です。

上越新幹線、いや新潟県には、世界に誇れる2階建て新幹線「E4系 Max」が走っていた事、その栄光を永遠に忘れないでいたい。

新潟県出身の私にとって「Max」は特別な存在であり、私の心の中で走り続けます。

「ありがとうMax!」

「Thank you Max!」

【著者】GATA_TETSU

首都圏某ターミナル駅で駅係員として、10年間勤務。 窓口で切符の販売や改札業務、管理職へ昇進後は新人指導や後方業務にも携わる。 地元・新潟県へUターン後は、趣味の鉄道と鉄道業界での経歴を活かし、「新潟初!元鉄道マン!~GATA_TETSU~」として活動中。 各種SNSをはじめ、鉄道写真撮影・鉄道講演などを通じ、新潟&鉄道の魅力を発信している。

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