映画「最後の決闘裁判」屈辱的で命を懸けた裁判に立つ妻 男のプライドを懸けた闘いの果てに見えるもの

中世ヨーロッパでは、神により正義を証明すべく、生死を賭けた決闘裁判が存在したそうです。その会場には大衆が溢れ、命懸けの死闘をスポーツ観戦のように楽しんでいたようで、正義を訴えている者こそが神により生存者となると信じられていました。そんな時代で実際に起こった卑劣な女性軽視による事件を映画化したのが『最後の決闘裁判』です。

この物語の主な登場人物は3人。ひとりはマット・デイモン扮する戦場のヒーロー的存在のジャン・ド・カルージュ。ひとりはその男と親友だったもののやがて決裂してしまう頭脳派のジャック・ル・グリ。もうひとりはジャンの妻であるマルグリット。この3人の人生を大きく変えてしまう出来事は、夫が留守の間に起こり、妻がジャックに暴行されてしまいます。

それを妻が夫に伝えたところから3人から見た出来事としてそれぞれの回想シーンが描かれていくのですが、たった数秒の会話でさえ、驚くほどそれぞれの受け取り方が違うのです。しかも当時は裁判を起こせるのも男性のみ。女性がもし乱暴を受けても泣き寝入りするのが当たり前の時代でした。けれど彼女は涙ながらに夫に訴え、屈辱的で命を懸ける裁判に立つことになります。

そもそも原作に興味を持ったマット・デイモンが親友のベン・アフレックと共に映画化を進め、女性脚本家にも声をかけて一緒に脚本を完成させたものを『グラディエーター』のアカデミー賞受賞監督・リドリー・スコットが監督を務め全世界公開に。今回は、妻であるマルグリットを演じた女優のジョディ・カマーからも意見を貰い、女性が経験する相手が何気なく発する言葉からのセンシティブな感情の変化をスクリーンに焼き付けることに成功しました。

ハリウッドでは引き続き、MeToo運動を意識した映画作りを行っていて、本作もその影響からの映画化に感じられます。それは当時、いかに女性が物のように扱われていたのか、夫を喜ばせるのが妻の役目とされていたか、暴行を受けても声を上げた女性が非難を受け、男性の裁判官しか居ない裁判所で、屈辱的な質問を受ける様子までカメラは静かに映し出しているからです。けれど、それこそが出演だけでなくプロデューサーも務めるマット・デイモンやベン・アフレックが望んだ“男性である自分たちが女性に何をしてきたのかを歴史に残すべき”という製作意義そのものでした。

それによりこれが中世とはいえ、現代も最高裁判裁判所の裁判官は男性の比率が多く、国を守る政治家も男性ばかりであると映画を見て気付いてしまうのです。では女性が増えれば世界は変わるのか?この問いに映画は注意勧告を示します。劇中、妻の女友達が彼女に不利となる内容を裁判所に密告するのです。しかし、それは女友達自身が、男性社会が生み出した“目に見えない常識”に囚われた故の行動にも思えるのです。

彼女にとってはマルグリットの行動自体が女性の中の異端児であり、「女性は慎ましやかにあるべき」という洗脳から生まれたもので、その考えは周囲の男性たちとなんら変わらないのです。だからこそ、性別ばかりを重視して政治家の男女比率を同等にするのは危険なのではないでしょうか。大切なことは、弱者の声に耳を貸し、私利私欲ではなく、不平等で苦しむ市民を救う政治家。もちろん、女性たちの声を的確に届ける女性政治家が今後、増えるのが理想ですが。

(映画コメンテイター・伊藤さとり)

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