まさかのセクシー路線!杏里の歌ったオリビア・ニュートン=ジョンじゃない?  40年前の今日 ― 1981年10月13日、オリビア・ニュートン=ジョンのアルバム「虹色の扉(Physical)」が米国でリリース

杏里も歌ったオリビア・ニュートン=ジョンのイメージとは?

杏里のデビュー出世作「オリビアを聴きながら」(1978年 / 作・尾崎亜美)の“オリビア”とは、もちろん70年代に絶大なる人気を博した英女性シンガー、オリビア・ニュートン=ジョン(以下ONJ)のこと。

「♪オリビアは淋しい心 なぐさめてくれる~」「♪Making Good Things Better」といった歌詞からONJを想起させようとしているのは明らかで、当時の洋楽としてのONJの(日本における)立ち位置、パブリックイメージみたいなものが垣間見られてくる。すなわちおしゃれでイケてる若者は普段から洋楽も聴いていて、70年代中盤からヒットを連発していたONJこそが、世界での一般的知名度、実績を鑑みれば(無難で)最も妥当な選択肢だったということだ。

実際この頃のONJのイメージといえば、清楚で健康的、透明感あふれる繊細な歌声を持つ美人女性シンガーといったところで、60年代以降いつの時代にも存在する “老若男女に好かれる世界トップクラスの美人(かわいこちゃん)女性歌手” の座を謳歌していた。特に1978年は、ジョン・トラボルタとダブル主演した映画『グリース』が大当たりした年で(公開時29歳で清楚な女子高生役かよ!? という突っ込みも跳ね返すルックス!)自己キャリアのピーク時だったのかもしれない。

シングル「フィジカル」でイメージチェンジ

そんなオリビアにさらなるピークが訪れたのは1981年のこと。それはこれまで植え付けられた印象を大きく覆す衝撃的なイメージチェンジを伴ってのものだった。舞台となったのは1981年後半にリリースされたシングル「フィジカル」!

タイトルが示す通り、男性に対して肉体関係を求めることを醸し出す衝撃的な歌詞。今までのお行儀のよい自分にさよなら、動物の本能で身体の声を聞かせて… と懇願するオリビア。これまでの清楚なイメージを180度覆す、まさかのセクシー路線に世界は度肝を抜かれた。

ショートカットのレオタード姿でエアロビをキメるPVもイメージチェンジの刷り込みに大いに役立っただろう。「フィジカル」はビルボードのシングルチャートで10週連続1位という、オリビア史上最大にして80年代最も大きなメガヒットを記録する。

エロティックな歌詞が意味深な次シングル「ムーヴ・オン・ミー(Make A Move On Me)」(1982年5位)のヒットもあって、アルバム『虹色の扉(Physical)』も自身過去最大のセールスをたたきだした。イメージチェンジは見事な結果を残したわけだ。

「虹色の扉」リリース40周年、オリビア歌声が聴きたい

しかし「フィジカル」のヒットが強烈すぎたのかどうか… このオトナの女性への脱皮路線の神通力は長くは続かなかった。その後のトップ10ヒットは「ハート・アタック」(1982年3位)と「運命のいたずら(Twist of Fate)」(1983年5位)の2曲のみ、1985年を最後にトップ40ヒットから遠ざかっていく。奇しくも新たなセックスシンボル、マドンナの台頭と入れ替わるかのように…。

もちろん「フィジカル」は80年代を代表する、どころか大衆音楽史上燦然と輝く金字塔のようなヒットソングであること、『虹色の扉』は80年代のポピュラーミュージックのトレンドを示唆する意欲作であったこと、これらは永遠に変わらない事実である。

2021年10月13日は『虹色の扉』リリースからちょうど40周年。記念盤として『Physical 40th Anniversary Delux Edition』CDと4色の色違い記念アナログLPが発売される。さらに今年2021年は英国での歌手デビューから55周年、世界デビューから50周年を迎える。闘病生活を続ける73歳(21年10月現在)のオリビア・ニュートン=ジョン、妙齢の歌声で披露する「フィジカル」を聴かれる日は必ずやってくるだろう。

カタリベ: KARL南澤

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