ケチな私とイタリアのハロウィン

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イタリア在住のイラストレーター・マンガ家のワダシノブさんが、
イタリアの暮らし・文化・人などの情報をお届け!
今回は、イタリアのハロウィンを通して感じたことについて。


(イラスト:ワダシノブ)

ハロウィンが「仮装した子どもにお菓子をあげる秋のイベント」として、イタリアで認識されるようになったのは、実は最近のことだ。
イタリアにはハロウィンよりもっと大きな仮装イベントとして、2月の「カルネバーレ(カーニバル)」があって、山車が出たり、パレードがあったりと、結構な規模で開催される。中世風の仮面をつけた、ヴェネツィアのカルネバーレの映像を見たことがある人も多いと思う。

そのためなのか、イタリアには仮装に抵抗がない人が多い。カルネバーレだけでなく、ハロウィンに魔女の帽子を被ったり、クリスマスにトナカイのカチューシャをつけたりする人もたくさんいるし、子どもたちはイベントに関係なく仮装して歩いていたりする。

私が初めてハロウィンをしたのは、十数年前、イタリアの田舎町のアパートに住んでいた頃のこと。「仮装して歩きたい!」という子どもたちの希望を叶えるために、スーパー社交的な義妹と一緒に、プリンセスとスーパーヒーローの仮装をした子どもたちを連れて、アパートの中をぐるぐる回ったのだ。

当時、ハロウィンはまだまだ世間に浸透しておらず、そのためアパートの人たちがお菓子を準備していないことを義妹は見越していた。だから、突然の訪問を詫びる意味も込めて、こちらからお菓子を渡すように準備していったのだ。

近くに住むおじいさんは、突然現れた私たちを見て最初は驚いたけど、「ハロウィンは知っているけど、うちにお菓子はないよ」と言いながら、朝ご飯用のビスケット(開封済み)を持ってきてくれた。お菓子を交換しながら「なんかちょっと違う気がするけど、これはこれでいいな」と思ったのが、最初のハロウィンの記憶だ。

現在住んでいるトリノに引っ越してからは、2度ほど子どもとその同級生を連れて、お菓子を持ってアパートの中を回った。2年目にはお菓子を準備して待ってくれている人も多かった。
年々イタリアでもハロウィンは盛んになり、最近では商店街やショッピングモールでもお菓子を配るようになった。子どもたちも大きくなり、アパートのハロウィンには興味をなくし、保護者付き添いのもと、友達とショッピングモールのハロウィンに行くようになった。

もともとイタリアの商店は、ハロウィンに関係なく子どもに優しい。カゴに子ども用の飴を入れて用意している店も少なくない。だから、ハロウィンに子どもがやって来ても、普段は一つだけ渡す飴を多めにあげればいいだけなのだ。

こういうイベントのときに感じるのが、イタリアの人たちのちょっとお金を遣って楽しむことの上手さだ。義妹が用意したような自分から配るお菓子に、お店に置かれた子どものため飴、100円で買える紙吹雪やフェイスペイント用のクレヨン。そうした些細なものにお金を払うことに躊躇がないのだ。

一方私はケチで、そういうお金の使い方が下手だし、無駄だとすら思っていた。イタリアに住み始めたばかりの頃なんて、「お金を使うのはもったいないな」と思い、たまにしかお金を使わなかったくらいだ。

もちろん、子どもだけでなく自分に対しても同じようにケチだった。バールで飲む100円のカフェや一輪の切り花といった、“ちょっとした幸せ”を感じられるものに対して、「これは無駄遣いなのでは?」という罪悪感を持っていた。お金がないという理由ももちろんあったけれど、それだけでなく、いつか「もっといいお金の使い方」をするために、楽しみは我慢すべきという考えが自分に染みついていたのだ。

「いつか」も「もっといいこと」が何かもわからないうちに月日は流れ、いつの間にか子どもは大きくなって風船を欲しがらなくなり、ケチな自分だけが残っていることに気がついた。

「いつか」のために我慢するよりも、数百円の小さな幸せを子どもにも自分にも、たくさんあげていたらよかったのに。ここ数年は、ハロウィンのコスチュームがショーウィンドウに飾られる季節になるとそう思うようになった。
でも、考えているだけでは仕方がないから、今年のハロウィンはかぼちゃのクッキーでも買って、「今」の私が幸せを感じてみようと思う。

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