14日午後の衆議院解散を前に次期衆院選への不出馬を表明している自民党の馳浩元文科相(60)は〝最後の登院〟となった。
この日、紺色のダブルのスーツで国会の中庭に現れた馳氏。「26年前に作った背広で来た。選挙に出る時に作って、初登院もこれだった。朝、着てみて変じゃない。そう思うと体形もそうだが、26年前と変わらずフレッシュな気持ちで、1日1日が勝負で、全力で走り抜けたな」と振り返った。
馳氏は1995年の参院選に無所属で当選し、以後、衆院に鞍替え後は当選7回。2015年には文部科学大臣にも上り詰めた。
「議会運営や委員会運営、議員立法、予算編成、大臣、教育の責任者としての役割をこの性格のまんま、やらせてもらったのが誇り」
来春の石川県知事選に立候補する意向で、永田町からはいったん去る。
その思いを「秋の朝 終にゆく道 永田町」と一句そらんじた。「『終にゆく道』は古典の世界では死んでしまう道。まだ死ぬわけではないが、国会議員としての最後を爽やかな秋に迎えたなあと」と感慨深げだった。