死んだふり解散、アベノミクス解散……衆議院の「○○解散」まとめ【衆院選2021】

衆議院には解散があります。今までにも、さまざまな状況で衆議院の解散が行われてきました。

それぞれの解散は、当時のできごとなどを踏まえて「○○解散」と呼ばれています。過去にはインパクトのある、おもしろいネーミングがつけられたこともあるようです。

この記事では衆議院の解散を振り返り、5つの「○○解散」を紹介します。その呼び名が定着した背景にも注目してみてくださいね。

ハプニング解散(1980年5月)

1980年5月に行われた大平内閣の解散は「ハプニング解散」と呼ばれています。

大平内閣発足前、自民党内では激しい主導権争いが行われていました。

抗争は一旦落ち着きを見せたものの、その後再燃。

非自民・反主流派の流れを止められず、5月16日に野党の社会党が内閣不信任案を提出します。

自民党は過半数を占めていたため、同案は否決されると思われていました。

しかし、反主流派だった自民党の福田・三木両派を中心とした多数の欠席により可決され、解散することになったのです。

解散を予測できなかったことから、1980年5月の解散は「ハプニング解散」と呼ばれています。

死んだふり解散(1986年6月)

1986年6月に行われた中曽根内閣の解散は「死んだふり解散」と呼ばれています。

当時、中曽根内閣は高い支持率を維持していました。一方で、自民党内の基盤に不安があったようです。

党勢回復のため、中曽根首相は野党の不意をついての衆参同日選を考えます。中曽根首相は衆議院の解散を否定しながら、臨時国会を召集。

野党は臨時国会召集の理由を求めたものの、自民党からの回答はありませんでした。

野党は反発し、本会議が開けない状態になりました。

その間に、議長応接室で議長が解散詔書を読み上げ、衆議院は解散となったのです。

後に中曽根首相が「死んだふりをした」と発言したことをきっかけに、1986年6月の解散は「死んだふり解散」と呼ばれるようになりました。

神の国解散(2000年6月)

2000年6月に行われた森内閣の解散は「神の国解散」と呼ばれています。

政権発足直後から、不適切な行動や発言が目立っていた森首相。

5月15日の神道政治連盟国会議員懇談会で「日本の国は天皇を中心としている神の国であるということを、国民の皆さんにしっかりと承知をしていただく」との発言をします。

この発言が政教分離の原則に反すると批判され、内閣の支持率はさらに下落。

野党から内閣不信任案が提出されるも、その投票を行う前に森首相は解散を決定しました。

森首相の発言内容から、2000年6月の解散には「神の国解散」という呼称が定着しました。

近いうち解散(2012年11月)

2012年11月に行われた野田内閣の解散は「近いうち解散」と呼ばれています。

2009年8月の衆院選で政権交代を果たした民主党ですが、2012年当時は支持率も低迷していました。

そんな中、野田内閣に内閣不信任決議案が提出されます。同案を否決するため、野田首相は自民党と公明党に協力を求め、会談を行います。

その席で「近いうちに国民の信を問う」と発言した野田首相。しかし、実際の衆議院の解散は発言から100日後と遅れを伴いました。

野田首相の「近いうち」という発言がクローズアップされ、2012年11月の解散は「近いうち解散」と呼ばれるようになりました。

アベノミクス解散(2014年11月)

2014年11月に行われた安倍内閣の解散は「アベノミクス解散」と呼ばれています。

2012年12月に再び首相となった安倍氏は、経済の回復を目標に、アベノミクスという経済政策を打ち出していました。

そんな中安倍首相は、消費税引き上げを前に増税の延期を発表。この判断について国民の信を問うとして、衆議院を解散し総選挙を行いました。

2014年11月の解散は「アベノミクスを前に進めるか止めてしまうかを問う選挙だ」として、安倍首相自らが「アベノミクス解散」と名づけました。

まとめ:今回の「解散」はどんな名前に!?

今回は、おもしろい呼び名がついた「○○解散」をピックアップしました。

10月14日の「解散」にはどのような名前がつけられるのでしょうか?

(執筆協力:Ricca

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