ABBA「Summer Night City」解説:母国スウェーデンでの最後のナンバーワン・シングル

故郷ストックホルムへのオマージュとして書かれたABBA(アバ)の「Summer Night City」はシングルのみでリリースされ、彼らの母国での最後のナンバーワン・シングルとなった曲だ。

70年代当時の音楽産業からの執拗なリリース要求パターンからいって、1978年に少なくとも2枚くらいのシングルを出さないということは考えられなかった。その年の1月には『ABBA: The Album』から「Take A Chance On Me」がシングルカットされていたが、彼らの次のスタジオ・アルバムはまだ大分先になることは明らかだった。その間を埋めるために、その年の5月のセッションの録音の中から「Summer Night City」を選び1978年9月6日にシングルのみでのリリースとした。

<ミュージック・ビデオ:ABBA – Summer Night City> 

曲作りとレコーディング・セッション

同じ年の映画『サタデー・ナイト・フィーバー』にまつわるビー・ジーズの途方もない成功は、最初の頃「迫害者のチャーリー/Charlie The Abuser」という奇妙な仮題(このタイトルは有名なコメディアン、カレ・サンダレの作品をもじったもの)がついていた「Summer Night City」の曲作りに明らかに影響を与えていた。

ベニーとビョルンの故郷ストックホルムへのオマージュとして書かれたこの曲は、従来の彼らの録音のベースであったメトロノーム・スタジオで生まれた、その後彼らがストックホルムに新設したレコーディング施設であるポーラー・ミュージック・スタジオで完成された最初の曲の一つとなった。

全体の演奏が録音される前に、アグネタとフリーダはまず彼女達のソロ・バートを歌った。そして「Summer Night City」はその後8月にリリースのために最終ミックスが行われるまで、保管場所に置かれていた。その際、最終バージョンを完璧にするための試みが何度か行われた結果、現在その時のいくつかの異なるバージョンがABBAのアーカイブに眠っている。

シングル「Summer Night City」のB面に採用されたのはアメリカのスタンダード曲のカバー・メドレーという異例の楽曲だった。3年以上前にチャリティー・プロジェクトのために録音されたものだったが、「Summer Night City」をプレス工場に持ち込むために、グループがもう1曲の新しい曲を急いで完成させなくてもいいように、新たに細部を整えて使われたのだった。

リリースと反響

「Summer Night City」はABBAにとって母国スウェーデンでの最後のナンバーワン・シングルになったが、全英チャートでは予想に反して5位までしか上らなかったため、ABBAの最高レベルの基準からいうとちょっとした失敗作という評価になってしまった。この曲は結局次のアルバム『Voulez-Vous』には収録されなかったが、その次の年にリリースされた彼らの2枚目のベスト盤『Greatest Hits Vol. 2』に収められている。

「Summer Night City」ほど強力で成功を収めた曲が、ちょっとした失敗作というのはやはり彼らが別格であることを物語っている。他の多くのアーティストにとっては、これほどの曲はキャリアを大きく変える作品になっただろうから。

Written By Mark Elliott

___

40年ぶりの新作アルバム

ABBA『Voyage』

**ABBA『Voyage』
**2021年11月5日発売

© ユニバーサル ミュージック合同会社