メクル第580号<旬感 V・ファーレン> MF 鍬先祐弥(くわさき・ゆうや)選手(背番号22) 相手に怖がられる存在に


「常に全力を出して勝つ」と語る鍬先選手

 「俺(おれ)もそろそろ点を取りたい」。江川(えがわ)選手や加藤聖(かとうひじり)選手、植中(うえなか)選手と若手がゴールを決めていく中で迎(むか)えた9月25日のJ2第31節、敵地(てきち)レノファ山口戦。後半15分、右クロスをクリアされたとき、いち早く反応(はんのう)しボールの軌道(きどう)を読み、右足を思い切り振(ふ)り抜(ぬ)きました。家族や知人の前で決めた待望のJ初ゴールとなりました。
 「むちゃくちゃうれしかった。狙(ねら)っていた形のシュートで練習通りに決まった。実は数試合前から同じパターンのシュートが枠(わく)に飛ばなかったので…」。大卒ルーキーが照れながら振り返りました。
 長崎市出身。小学校時代に県選抜(せんばつ)や九州選抜に選ばれました。中学校に進学するとき、V長崎のセレクションを受けて合格しましたが、選抜の仲間が集まる長崎南山中へ。3年生のとき全国中学校体育大会でベスト8まで勝ち進みました。「昔からの仲間とやれて、とにかく楽しかった」。
 高校は地元を離(はな)れて、強豪(きょうごう)の東福岡(ふくおか)高(福岡市)に進みました。「練習がキツすぎて、メンタルを鍛(きた)えられた。それを乗(の)り越(こ)え、1歳先輩(さいせんぱい)の毎熊(まいくま)選手とともにインターハイと全国高校選手権(せんしゅけん)で2冠(かん)を達成できた」と話します。
 高校卒業からプロへの道も考えてJ1クラブの練習に参加したものの、加入の話はなく、自分に磨(みが)きを掛(か)けるため早稲田(わせだ)大へ。関東大学1部で優勝(ゆうしょう)や、全日本大学選抜に選ばれるなど順調でしたが、4年生になってもJクラブから練習参加の打診(だしん)がありませんでした。「少し焦(あせ)りはあったが、いつも通りにチームを勝たせるために一生懸命(けんめい)やって、それでも声が掛からなかったら仕方ない」と割(わ)り切(き)りプレーを続けました。
 思いが通じ、2020年10月になるとJ1、J2の複数のクラブから練習参加の打診がありました。その中で、V長崎を選んだのは「生まれ育った『地元』ということが一番大きかった。練習の雰囲気(ふんいき)もよく、成長できる場所だと感じた」。12月10日にV長崎に新加入が発表されました。
 デビューは第4節のアウェーFC琉球(りゅうきゅう)戦。後半開始からサイドバックに入りました。「緊張(きんちょう)とかよりも1点負けている中で、どうやったら流れを変えられるかの一心で動き続けた」。チームは敗れましたが、そこから攻守(こうしゅ)に存在感(そんざいかん)を放ち24試合に出場しています。
 この先、思い描(えが)いたサッカー人生を送るため大事にしている言葉は「意志(いし)あるところに道は開ける」。リーグ戦が佳境(かきょう)を迎(むか)える中、「望みをかなえるため目の前の試合に常(つね)に全力を出して勝つ」と意気込(いきご)みます。自ら道を切り開き「相手から怖(こわ)がられる存在(そんざい)になりたい」。

 【プロフィル】1998年5月15日生まれ。山里小-長崎南山中-東福岡(ふくおか)高-早稲田(わせだ)大。中学時代に長崎新聞のオピニオン欄(らん)に掲載(けいさい)された経験がある。そのときの題名は「ライバルいるからこそ成長」。2カ月ほど前から、踏(ふ)ん張(ば)りが利(き)くようにマウスピースをはめてプレー。175センチ、72キロ、23歳(さい)。


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