金正恩「身内も処刑」の震撼情報…裁判後、即時執行

2011年12月17日、金正日総書記が急逝したことによって始動した金正恩政権はもうすぐ発足から10年となる。この間の歩みの中で、特筆されるべきはその無慈悲な粛清政治だ。

金正恩氏の本格的な粛清政治は2013年から始まった。叔父の張成沢(チャン・ソンテク)元朝鮮労働党行政部長の側近らが処刑場に送られ、続いて張氏本人と、彼に連なる人々が処刑されたり政治犯収容所に送られたりした。

彼が処刑された後、愛人だった元トップ女優も粛清されたと言われる。

一節に、その数は1万人にも達すると言われる。

「妻の同僚」も犠牲

張成沢氏は、金正恩氏の祖父で北朝鮮の初代指導者・金日成主席の娘である金慶喜(キム・ギョンヒ)氏の夫、すなわち金日成氏の娘婿であり、金正恩氏の叔父にあたる。金正日総書記からの信頼も厚く、若い金正恩氏を支える後見人として、不動の地位を固めたと見られていた。

しかし2013年12月18日、平壌で開かれた朝鮮労働党政治局の「拡大会議」の最中、名指しで「反党・反革命分子」と批判され、その場で逮捕・連行された。

そして4日後の12日、張成沢氏は、特別軍事裁判にかけられ、即時処刑された。

北朝鮮国営メディアは、張成沢氏を「犬にも劣る」と罵倒し、議場から連行されていく様子と、裁判にかけられる写真を公開した。それを分析した結果、厳しい拷問を受けたあとが見られるとも言われている。ちなみに、中国ネット発で「犬に食べられた」「火炎放射器で炭にされた」など残虐な方法で処刑されたという説もあるが、少なくとも「犬に襲われた」という説は発信源のブロガーが「作り話」だったことを認めている。

そのような手段ではなかったにせよ、残虐な粛清であることは間違いない。秘密裏に粛清するのではなく、党の会議で吊し上げ、さらにメディアで大々的に報じた。世界に向けた「公開処刑」といっても過言ではない、北朝鮮史上、類のない粛清劇だった。若き独裁者が「身内」までをも冷徹に処刑したとの情報に、世界は震撼した。

張氏は処刑されるに当たり、罪状のひとつとして、2009年に失敗した貨幣改革(デノミネーション)の責任を押しつけられた。このデノミ失敗では多くの国民が財産を失っており、国家に対する恨みの種となっていた。張氏が処刑されて以降、一部の平壌市民の間では「張成沢が貨幣改革で北朝鮮経済を悪化させた」との話が出回っていると聞く。張氏をスケープゴート(生贄)にしたプロパガンダが、まんまと成功したのだ。

さらに2015年春には、玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)人民武力部長(日本の防衛大臣にあたる)が突如として公開銃殺された。公開銃殺が当たり前に行われている北朝鮮においても、張成沢氏や玄永哲氏ほどの権力者が殺されるのは、そうあることではない。

このような金正恩氏の恐怖政治は、実は権力層だけでなく芸術分野にも及んでいた。張成沢事件に先立ち、金正恩氏の妻である李雪主(リ・ソルチュ)氏も所属していた銀河水(ウナス)管弦楽団の芸術団員ら10人が2013年8月に処刑された。処刑の理由は、李雪主氏を中傷したり、皮肉ったりしたことと、ポルノ映像を撮影し、金銭目当てに頒布したとされている。

この10年間、金正恩氏は自らの権力と最高尊厳というプライドを守るために、人を殺めてきた。一時的には功を奏したかもしれないが、因果応報となりつつある。

最近、激ヤセしたと言われている金正恩氏だが、多少体重が減ったとしても依然として肥満体であることに変わりはない。そして、登場時は約90キロから100キロと推定されていた金正恩氏の体型は、恐怖政治が始まった2013年8月あたりから2014年にかけて急激に変化し、130キロから140キロと推定されるに至る。

筆者は恐怖政治を激化させる中で猜疑心やストレス、プレッシャーに苛まれたことが極度の肥満をもたらしたと見ている。そして、2020年4月の空白期間に、心血管系治療(ステント治療)を受けた可能性が高い。

極度の肥満が祟ったと見られるが、その発端をたどると残虐な粛清による恐怖政治に行き着くのだ。

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