【新宿ゴールデン街交友録 裏50年史】たこちゃん「溺死」享年44 迷惑かけてくれてありがとう!

私の自宅でたこちゃんの頭にバリカン!

葬式の流れで、たこ八郎の葬式のお話を。以前も書いたが、たこちゃんとはほとんど同棲生活のようなものだった。毎夜、ゴールデン街「クラクラ」で飲み、そのまま我が家へ帰るのが日課だった。

「笑っていいとも!」(フジテレビ系)にたこちゃんが出演する日はアルタスタジオまで送り届けたり、マネジャーのお手伝いをしていた美田健次と共に昼夜面倒みたりみられたり…。一心同体の日々だった。

そして、海が好きだったたこちゃんとの海水浴は毎年の恒例行事。1985(昭和60)年の夏も暑い日々が続いていた。新宿2丁目にあった「モダンアート」というストリップ小屋で私の「四畳半襖の下張り」のひとり芝居を7月11~20日に演じていた。ストリップ小屋で爺さんの色話…といってもその時、私しゃ、まだ38歳だったが…。

たこちゃんも昔、団鬼六劇団で白川和子らとストリップ小屋巡りしていたこともあり、毎日楽屋に遊びに来ていた。余程楽屋が落ち着く場所だったんだろう。お姉さん達にもかわいがられていた。

そして24日の未明「クラクラ」を跳ねてから仲間5人と車で出かけた。神奈川・真鶴の海近くで明るくなってきたから、そのまま岩海水浴場へ。8時すぎ、一緒に泳ぎに海に入る。岸に戻る手前でふと振り返ると、たこちゃんはうつ伏せで漂っていた。慌てて返すと、口と鼻から海水が流れ出て…。岸にあげ、救急車を呼んだが、来るまでの時の何と長かった事か…。

小田原署で事情聴取。死因「溺死」。享年44。

そのまま東京・新宿富久町の私の「はみだし劇場」の稽古場へ。由利の親父さん(由利徹)に「トバ!お前が付いてて何てことを!」と怒られたが、黙って頭を下げ、返す言葉もなかった。

通夜は友引も入り三日三晩。よく飲んだ。喪主・由利徹、葬儀委員長・赤塚不二夫、副委員長・山本晋也と私。「俺が死んだらみんなで送ってくれよな!」と言ってた通りの賑やかなお葬式だった。

菅原文太が香典返しに「神津島の焼酎を取り寄せてやる」と宣言したものの、間に合う訳もなく、当時文太さんがCMに出ていたサントリーのホワイトウイスキー(ポケット瓶)500本を進呈してくれ、皆さんにお渡しした。

人気者の現役コメディアンの死に参列者の顔ぶれもすごかった。タモリ、高平哲郎、ビートたけし、柄本明、あき竹城、根津甚八、原田芳雄、小松政夫…。鴬谷の法昌寺にはたこ地蔵が建立され、胸にはこんな言葉が…「めいわくかけてありがとう」。でも、私に言わせれば「迷惑かけてくれてありがとう!」とね。 (敬称略)

◆外波山文明(とばやま・ぶんめい)1947年1月11日生まれ。役者として演劇、テレビ、映画、CMなどで活躍。劇団椿組主宰。新宿ゴールデン街商店街振興組合組合長。バー「クラクラ」オーナー。椿組秋公演「戦争童話集」(東京・新宿「雑遊」)を10月28日~11月7日に上演。

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