バッジ外す県内国会議員2人に聞く 冨岡勉氏・BSL4計画印象深く 加藤寛治氏・農業の基盤整備に尽力

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「議員立法9本に携わった」と話す冨岡氏(左) 「出馬するかどうかかなり悩んだ」と話す加藤氏=衆院第2議員会館

 長崎県選出で自民党衆院議員を務めていた冨岡勉氏=比例九州=と加藤寛治氏=長崎2区=が19日公示の衆院選に立候補せず、14日の解散で議員バッジを外した。政治の表舞台から去るのを前に、出馬を見送った経緯やこれまでの議員生活、国会議員の役割などを聞いた。

◎冨岡勉氏 BSL4計画 印象深く

 -バッジを外す心境は。
 気付いたら73歳。疲れ知らずでやってきたが、2年ほど前から記憶力や体力が減退してきた。あと1期出るか迷ったが、世代交代して若い人に譲った方がいいと思った。息子にチャンスがあればとも思ったが、息子には息子の人生がある。仕方がない。取り組んできた仕事が一段落した感じもあり、今はちょうど良かったと思っている。妻もほっとしている。
 -取り組んだ仕事とは。
 議員立法9本に携わった。臓器移植やカネミ油症、ゲノム(全遺伝情報)医療などの法律だが、死因究明の推進に関する法案などは落選中で提出者になれず、悔しい思いもした。長崎大に完成した感染症研究施設「バイオセーフティーレベル(BSL)4」の計画には深く携わり、仕事の中で最も印象に残っている。
 長崎では今、携わった仕事の中で水産の未来を変える魚介類の閉鎖循環式陸上養殖や、大学でのサイバー(電脳)セキュリティー人材の育成など、実績を積みながら動いているプロジェクトが多くある。バッジを着けた方が物事が進む段階から一歩進んだ。これからは長崎に戻って活動の幅をさらに広げて貢献したい。
 -「引退ではない」と言っている。
 バッジは外すけれども政治活動、社会活動、ボランティア活動から引退はしない。これからもばりばりやる。国会議員の肩書は単なるツール(道具)に過ぎない。要は人として、世の中のため、日本のため、長崎のためにどんな仕事ができるかだ。今もマイクロチップを埋め込んだコンタクトレンズの研究に向けた会議を重ねるなど結構忙しい。
 -仕事途中のものがあるのに辞めて大丈夫なのか。
 僕は物事をゼロから作り上げるのにやりがいを感じるタイプ。軌道に乗り、仕上げの段階になれば他の人がやってもいい。今回、仕事を見渡してみて思った。議員は辞めても大丈夫。
 -選挙は強くなかった。
 正直、勝ち負けはどうでもよかった。選挙にエネルギーを使うより、陸上養殖やサイバーセキュリティーに頭を使いたい。そういう考えが政治の世界や世間と乖離(かいり)があることは僕なりに理解はしているつもりなんだけど、それは個の認識としてあるものなので仕方がない。確かに負け戦かなあと思った選挙もあった。悔しさはあったけど、まあしょうがない。
 -国会議員の仕事とは。
 国際的に展開できる産業や人材を育成する仕事。道路や橋の整備には興味なかった。それは他の議員がやればいいと思った。僕はサイバーセキュリティーとか、量子暗号とかスーパーコンピューターとか「ちんぷんかんぷん担当」だった。そんな人が国会議員にいたっていい。というより、いなければいけないと思う。

 【略歴】とみおか・つとむ 福岡県出身。長崎大卒。県議(1期)を経て2005年に初当選。文部科学副大臣や衆院の文部科学委員長、厚生労働委員長などを歴任。73歳。

◎加藤寛治氏 農業の基盤整備に尽力

 -バッジを外す心境は。
 あと1期は必ずやりたいと思っていた。7月末には事務所開きをして、準備を進めてきた。選挙は健康管理が最も大切な準備の一つ。選挙前は必ず検査を受けてきたが、そこで指摘を受けた。出馬するかどうか、2週間ほど誰にも言わずに一人で悩みに悩んだ。
 頭に焼きついていたのは父親のこと。父は選挙で当選を重ね、県議会議長に就任したが、その後に病に倒れ入院を余儀なくされた。支援者の相談を受けることができず、公務もままならない状態を目の当たりにした。私も当選させてもらいながら国会活動ができない事態になったら-と思いを巡らせた時、1票を投じてくれる有権者や支援者に迷惑はかけられないな、と出馬見送りを決めた。決めたからには未練はない。
 -取り組んだ仕事は。
 県議の時から地方はまず1次産業をしっかり育てないと2次、3次産業につながらず、産業発展の好循環は生まれないと思っていた。国会議員になってからも思いは同じで、農業では基盤となる圃(ほ)場整備を進めることに力を入れた。
 今、スマート農業やスマート漁業などの言葉が踊っているが、内実は基盤をしっかり整えていないと、いくら最新鋭の機械を導入したところで、有効に活用できないのが現実だ。「まずは基盤整備」との主張は最初はなかなか理解を得られなかったが、会合のたびに言い続けた。
 -国会議員の仕事とは。
 国会議員は代議士と呼ばれる。代議士は地域の声を代弁し、国会に届ける人を指す。このことを一番大事にした。国会周辺をうろうろしているだけでは、確かに情報などは集まるかもしれないが、議員の務めを果たしているとはいえない。できるだけ地元に帰り、地域の人の声に耳を傾け、国会に届ける。議員の仕事はこれしかない。
 -県議時代を含め自身が出馬した選挙は無敗だった。
 勝つ秘訣(ひけつ)は特別にはない。支え応援してくれた方々のおかげに尽きる。私が心掛けていたのは大小関係なく、どんな相談事も真剣に取り組んで、できることもできないことも理由まで説明して返していたこと。これだけは貫いてきた。
 -任期中、結婚披露宴出席時に「3人以上産み育てて」と呼び掛けていると発言し、物議を醸した。
 政治家は目の前の課題解決に一生懸命取り組むことが大切だが、それと同時に将来起こり得ることにもしっかりと千里眼を効かせないといけない。少子化や人口減少は国難、日本存亡の危機であり、何十年も前から分かっていた。言葉が適切だったのかどうか、一般の人たちが言うのは仕方がないとしても、少子化対策への責任がある国会議員から簡単に「セクハラ発言だ」と言われたことは非常にさみしかった。

 【略歴】かとう・かんじ 島原市出身。日本大卒。県議(8期)、県議会議長、JA島原雲仙組合長などを経て2012年に初当選。農林水産政務官、副大臣などを歴任。75歳。

◎県内衆院選結果 8回選挙 延べ47人の議員誕生

 議員バッジを外す人がいれば、新たに着ける人もいる。県内の衆院選はどのような変遷をたどってきたのか。現行の小選挙区比例代表並立制に移行した1996年の第41回衆院選から前回までの選挙結果をおさらいしてみた。
 移行後8回あった衆院選で県内の4小選挙区には計112人が立候補した。比例九州ブロックでの復活当選や補選、比例単独候補まで含めると本県関係の衆院議員は延べ47人が誕生している。
 小選挙区立候補者の平均年齢は56.54歳。最年少当選は28歳で、最年長当選は76歳。県内は連続当選で期数を重ねる議員が多い傾向にあり、選挙を重ねるごとに平均年齢は高くなっている。性別では男性104人、女性8人が立候補したのに対し、当選は男性30人、女性2人。
 小選挙区を勝ち上がっているのは自民系が多い。民主党(当時)への政権交代が起きた第45回選挙では4選挙区とも民主候補が勝利したが、全体で見ると自民系23勝、非自民系9勝。19日公示の第49回衆院選はどのような結果になるのか注目される。

小選挙区移行後の県内衆院選結果