「注射なんて死ぬほど打った」故障ばかりの10年間…苦悩の経験を生かす第2の人生

「注射なんて死ぬほど打った」と振り返った坂田将人【写真:荒川祐史】

坂田将人のモチベーション、背景には斉藤和巳の存在も

あっけらかんと、苦しみの日々を笑い飛ばす。「もう注射なんて、死ぬほど打ちましたね」。11年間のプロ人生のほとんどが、肩の故障との戦いだった。元ソフトバンク投手の坂田将人氏は、独立リーグでの4年間をへて現役のユニホームを脱いだ。28歳で向かう第2の人生に、自らの経験を生かそうとしている。【北原野乃】

2010年のドラフトでソフトバンクから5位指名を受けて入団。早くも2年目の2012年には左肩にメスを入れ、長くつらい痛みとの付き合いが始まった。患部の状況は一進一退を繰り返し、育成と支配下を行ったり来たり。その間に、同期入団で育成選手だった千賀滉大投手や甲斐拓也捕手らは1軍の主力になっていく。「僕は取り残されている感じがあって、しんどかった」と振り返る。

2017年限りでソフトバンクを退団後、ルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスに加入。ただ、在籍した3年間で登板はゼロ。「周りからしたら何やってんだという状況だけど、みんな口に出さず見守ってくれていました」。肩の状態を気にし始めてから、もう10年が経とうとしていた。

いいと聞けば、全国どこにでも足を運び、治療を受けた。独立リーグ時代はバイトをせず、ソフトバンク入団時の契約金を治療費に充てた。「そんなに効果がないって分かっていても、もしかしたらと思って注射を打ってもらったこともありました」。もう数えきれないほど。気功だって取り入れたこともある。「今度こそは」と一縷の望みをかけて床に就き、朝目覚めて好転していない現実を知る毎日だった。

気持ちの踏ん切りをつけようとしていた2021年。不思議と肩の状態が回復し、BCリーグの茨城アストロプラネッツに練習生として加わった。気がつけば、シーズン44試合登板。苦しんできたご褒美のように、マウンドを堪能する1年間をもらった。

師・斉藤和巳氏からの言葉「満足してやめられる人は、なかなかおらん」

終わりよければ――なんて、簡単な言葉で片付けるつもりはない。自分ひとりだったら、とっくに諦めていた。故障した当初、ソフトバンクの3軍リハビリ担当コーチとして自身も復帰を目指していた斉藤和巳氏の存在に助けられた。リハビリで同じ時間を過ごし、心の保ち方も聞いた。今でも師と仰ぐ元沢村賞右腕には引退を報告。「満足してやめられる人は、なかなかおらんからな」。労いの一言が、ただうれしかった。

もちろん、治療に携わってくれた医師や専門家、ファン、家族……。「たくさん助けられたからこそ、復帰できました」。今度は、自分が助ける側になれないか。現役引退の節目を迎え、そう思うようになった。「僕は(怪我をした人の)気持ちが少しでも分かってあげられるかもしれない。治療の資格を取ることを考えています」。柔道整復師や鍼灸師などを視野に、情報を集める。

技術を身につけなければいけないのはもちろん「言葉ひとつで人の心は動いてしまうので、治療以外に、そこも勉強していきたい」。ろくに投げられなかった10年間だって、無駄にはならない。マウンドから降り、人の心に寄り添っていく。(北原野乃 / Nono Kitahara)

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