松坂大輔 幻の「五輪旗手」構想あった!

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引退した平成の怪物(東スポWeb)

プロ野球・西武の松坂大輔投手(41)の引退試合から一夜明けた20日朝、テレビ各局情報番組は「平成の怪物」の幕引きを時間を割いて伝えた。西武からレッドソックス、メッツを経てソフトバンク、中日と渡り歩いて戻った古巣で23年間のプロ人生に終止符。そんな大投手はオリンピアンでもある。

「松坂選手に旗手をやってもらうということもありうる…」

日本オリンピック委員会(JOC)の幹部が本紙記者に語ったのは、松坂が16勝で最多勝に輝きルーキーシーズンを終えた1999年の暮れのこと。プロ選手の五輪参加について取材している中で、意外な言葉が飛び出した。

翌年のシドニー五輪で野球の日本代表に初めてプロ選手が参加するとあって、日本版「ドリームチーム」の構成が注目されていた。五輪の開幕は00年9月。まだ各競技の出場選手がほとんど決まっていない時期、早々とJOC側が松坂に熱い視線を注いだ裏には五輪をとりまく当時の社会情勢があった。

若者のスポーツ離れや五輪への無関心。国際オリンピック委員会(IOC)が現在も懸念する状況は、当時からJOCでも言及されていた。

五輪への認知度を高める上で効果的な一策がプロ選手の参加拡大。すでに海外では米プロバスケットボール・NBAの選手が各国から出場し、日本ではテニスで松岡修造や伊達公子らプロが「チーム・ジャパン」として戦っていた。ただ、国民的スポーツであるプロ野球から選手が参加する影響は計り知れない。そのインパクトを最大限及ぼせると思われたのが、プロ1年目に怪物ぶりを見せつけた松坂。開会式で旗手を務めれば効果倍増も見込める存在だった。

一方でプロ参加を巡ってはアマ球界から「五輪はアマ選手の大会であるべき」との意見が出て、プロ側でも積極的なパ・リーグと慎重なセ・リーグで温度差が生じた。日本選手団の主将と旗手についても一部で辞退があり、結局、「ミスター・アマ野球」杉浦正則投手が主将、旗手は柔道の井上康生に決まり、「松坂旗手」は幻に終わった。

背番号18をつけて五輪に臨んだ松坂は、米国と韓国、韓国との3位決定戦と重要な3試合で先発したが、チームはすべて敗北。プロとアマの混成だった日本は、4年後のアテネ五輪で初めて全員プロのチームを実現させた。