「大阪・警察官ネコババ事件」報道 “ 圧力”に抗って 読売新聞大阪本社社会部の報道(1988年) [ 調査報道アーカイブス No.20 ]

「大阪・警察官ネコババ事件」読売新聞大阪本社社会部(1988年)

[ 調査報道アーカイブス No.20 ]

日本のマスコミには警察担当記者、いわゆる「サツ回り」が多数存在する。これほど数多くの記者を警察に貼り付けている国は、他にないとも言われる。かつても今も、新聞社の新人は程度の差はあれ、必ずサツ回りを経験させられる。では、サツ回りとは、本来、どんな取材を期待されているのだろうか。その回答を示した、記念碑的な調査報道が「大阪・警察官ネコババ事件」である。

1988年2月6日、出産間近の主婦(当時36歳)が拾得物として現金15万円が入った封筒を大阪府警堺南署(現・南堺署)の派出所に届け出た。対応したのは巡査のNである。しかし、Nはこれをネコババ(着服)し、落とし主から連絡があった際には、「そんな封筒受理していない」と噓をつく。それどころか、堺南署は署長以下、組織ぐるみで現金を届け出た主婦に濡れ衣を着せようとした。この経緯は、取材を手掛けた読売新聞大阪社会部の著書「警察官ネコババ事件―おなかの赤ちゃんが助けてくれた」(講談社)に詳しい。

主婦に“自白”を迫るため、当初4人だった捜査態勢はほどなく8人に拡充された。しかも専従捜査班である。いずれも署長の指示だった。

捜査員は「主婦が自宅付近で封筒を破っていた」という目撃証言をでっち上げたり、「主婦の夫が経営するスーパーの敷地内で封筒の紙片が発見された」などの虚偽の物的証拠をでっち上げたりして、主婦を追い込んでいく。捜査員が主婦宅を訪問した際には「今度来るときは逮捕状を持ってくる」などとも言い募った。

主婦が通院する産婦人科医には「証拠も挙がっており、逮捕して調べたい。『体調は異状なし』と書いてくれないか」と迫ったという。主婦は自殺を考えるほど苦しんだが、おなかの赤ちゃんのことを思い踏みとどまった。


事態が変化したのは1988年3月6日である。読売新聞はこの日朝刊で、次のような見出しの記事を掲げた。

「拾った15万円蒸発」「主婦『派出所に届けた』 堺南署『その時間は留守』」―。

主婦と警察の双方から話を聞き、双方の言い分をきっちりと示した記事である。しかし、取材の過程で堺南署の対応は異常だったという。署長、副署長は「こっちにもかかわる話だから慎重にやっている。書くのは待ってくれ。明日にも逮捕する」「逮捕したら真っ先に教えるから。今書かれたら大変やがな」と口をそろえた。署の両巨頭にこう言われると、駆け出し記者なら一も二もなく従ってしまい、記事にならなかったかもしれない。ただ、そうはならなかった。読売の記者は15年目。経験も積み、油も乗り切った記者だった。

警察からの“圧”はまだ続いた。

出稿間際に警察側のコメントを求めると、またも2人にすごまれた。「お宅の会社にはようけ知り合いがおる。そんな記事ボツにするのわけない。恥かくだけや」(副署長)、「どない書いても一般の人は警察が悪い思うがな。変なこと書いたらこっちも対抗手段とる」(署長)。

この報道で奇妙な事件の発生を知った府警本部は、堺南署から本部捜査二課に捜査を引き取る。そして3月25日深夜11時過ぎ、府警本部は次のような発表を行った。

「15万円は確かにN巡査が受け付けた。その事実を隠していた。明日付で懲戒免職処分にし、業務上横領容疑で書類送検する」

実はこの発表の前日、修学旅行で中国・上海を訪れていた高知学芸高校の生徒ら乗る列車が脱線転覆し、生徒ら27人が死亡、36 人が負傷する大惨事があった。その事故は日本でも大ニュースとなり、国民の耳目はそこに集まっていた。そうした最中の深夜に、府警本部はこの記者発表をぶつけてきたのである。身内の不祥事の影響を最小限にとどめるためだった。その思惑通り、「警官ネコババ事件」の記事は各紙とも小ぶりだったという。


読売新聞の報道に本当に火が付くのは、執拗に犯人扱いされたとして主婦が5月25日、大阪府を相手取って200万円の国家賠償請求訴訟を起こしてからだ。犯人扱いされた際の、ひどい実態。それが訴状で明らかになると、読売新聞は6月13日から夕刊社会面で連載「追跡ドキュメント『おなかの赤ちゃんが助けてくれた』」をスタートさせた。

実は、この連載をめぐっても、警察からの横やりがあった。連載準備の段階では、府警トップ級の部長から「連載の開始を延ばしてほしい。近日中に訴訟取り下げについて双方の弁護士同士で話し合う。どうしてもやるのなら、こちらも対抗措置を取る」と読売新聞の大阪社会部長に電話がかかってきていた。

夕刊の連載は7月7日まで22回に及んだ。「新聞は警察とべったりだと思っていた」「こんな連載を新聞で読んだことがない」―。読者の反響は予想以上だった。冤罪を生み出す警察の体質。それを抉り出した記事は当時としては非常に稀有だったし、そこにこのキャンペーン報道の真価はある。

(フロントラインプレス・本間誠也)

■参考URL
文庫「警察官ネコババ事件―おなかの赤ちゃんが助けてくれた―」

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