古内東子のヒットアルバム『恋』を教科書に恋愛に欠かせない大切な要素を授かってみたい

『恋』('97)/古内東子

10月20日、1990年代に古内東子がリリースしたアルバム『Strength』と『恋』が、ユーミン作品のマスタリングエンジニアリングとして知られるバーニー・グランドマンのカッティングが施され、アナログレコードで再発される。この機会に当時“恋愛の教祖”と称された古内作品を味わってみたい…ということで、今回はその『恋』を取り上げる。発売当初、アルバムチャート2位となり、エンジニアにはSteely Dan作品などで有名なロジャー・ニコルズを起用したことも話題となった名盤である。

1990年代の“恋愛の教祖”

彼女の出世作と言っていい7thシングル「誰より好きなのに」と、それが収録された5thアルバム『Hourglass』(1996年)、そして、今回紹介する6thアルバム『恋』がリリースされた頃、古内東子は“恋愛の教祖”とか言われていたように思う。その頃すでにユーミンや竹内まりやらにもその称号が与えられていたことから“新・恋愛の教祖”となっていたような気もしなくもないが、いずれにしてもどこか祭り上げられていたような覚えがある。こちとら、今も昔も “恋愛の教祖”に教えを乞うような恋愛体験はないので、その頃も“あぁ、そうですか”くらいにしか思ってなかったと思うが、そんな自分でも“古内東子=恋愛の教祖”が印象に残っているということは結構盛んにそう言われていたのだろう。発売からおおよそ4半世紀を経た現在、改めて『恋』を聴いてみると、なるほど、確かに彼女がそう称されたことも分からなくはない。タイトルがズバリ『恋』なのだからそりゃそうだろう…と突っ込まれそうだが、アルバム『恋』の10年も前にシングル「恋」をヒットさせた松山千春にはその称号は与えられなかったので、タイトルばかりがその要因ではなかろう。

…と、まぁ、冗談はさておき、本作に収録されたナンバーは100パーセント恋愛の歌で占められているのは間違いなく、それゆえに“教祖”とか言われたのだろうが、そうは言っても収録曲は理想的な恋愛像や時代に合った恋愛スタイルを打ち出して聴き手に幸福感を与えるものばかりではないことにも気づいた。中には “これは恋することを推奨しているのか?”と思ってしまうようなものもあるし、好きだ嫌いだを描くのではなく、微妙な感情を描いたものもある。筆者のような言わば恋愛貧者には、どれもこれもその視点が興味深い。百聞は一見に如かず。実際どんな内容であるのか、『恋』収録曲を順に見ていこう。

人が感情を抱く刹那

《あなたが他の人と会っているらしいって/私がかわいそうだって/平気なふりすれば するほど みじめになるよ》《私は彼女を責めたりしない きっと同じように恋してるだけ/愛し合うことには 皮肉なもので ルールも順序も関係ない》《でも不思議ね 考えてることは どんな顔して どんな言葉で/何も知らないふりして いつも通り あなたに会えばいいか、それだけ》(M1「悲しいうわさ」)。

M1「悲しいうわさ」はダンサブルなリズムがグイグイと楽曲全体を引っ張るファンクナンバーで、メロディーやサウンドは親しみやすいというか、聴き手を選ばない印象ではあって、その意味ではオープニングらしい。しかしながら、歌詞はどこか緊張感を孕んだ感じである。ピリピリした状態だと思えるし、近くにいる人の精神状態がこの歌詞のようであることを知ったらたぶん自分は話しかけないと思う。親しみやすさとは真逆と言っていい状態だろう。恋愛を闘いに重ねる向きは古くからあると思うが、《ルール》なんて言葉があることからM1もその系譜であろうか。ダメージがあってもそれを表に出さない姿勢は格闘技に近いようにも感じる。その内容は受け身だけのように見えるが、強烈にアグレッシブではある。

M2「ブレーキ」もM1とはベクトルが別ではあるが、これもまたアグレッシブな内容ではあろう。

《あなたが振られたこと 噂に聞いたから/何となく二人きりで会うのは 複雑な気持ちだったの/なぐさめているつもりでいても ごめんね/やっぱり少しうれしい気持ち隠せなくて》《好きになっていいかな 近くにいてもいいかな/針がさすような胸の痛みを感じるの あなたを見てると/心のブレーキから足を離していいかな/今までずっと目をそらしてた 真っ直ぐに好きになっていいかな》(M2「ブレーキ」)。

これまたファンク~ソウル系で、ギターのカッティングには躍動感はあるし、サビは開けた感じで、M1よりはやや明るい印象。アウトロではアーバンなサックスが鳴っているが、これもどこか溌溂とした感じではあって、余計に歌詞の前向きさを助長しているようでもある。その内容は…と言うと、見ていただければ説明は不要であろうが、面白いのはM1がこれから何か不穏なことが起こりそうな内容である一方、M2ではまさにここから恋が始まるということである。タイプは異なるが、ともに人が感情を抱く刹那、その瞬間をとらえていると言える。10thシングルになったM3「大丈夫」もその観点で見ることもできる。

《うそつきたくない だけど 強がるしかない/あなたに会えない夜でも 大丈夫 大丈夫/愛されていたい だから 微笑んでいよう/あなたに会えない夜でも 大丈夫 大丈夫》《大切にしたい だから困らせたくない/私の寂しい気持ちは/明日には消えるもの/愛されていたい だから 微笑んでいよう/あなたに会えない夜でも 大丈夫 大丈夫》《そうね 一人で生きることも出来なくないし/きっと気楽だけれど/一度きりの人生ならば 二人でずっと生きてゆこうよ》(M3「大丈夫」)。

耐え忍んでいる刹那…と言うと、たぶん大袈裟だが、強引にまとめればそういうことになるだろう。アルバム冒頭3曲で彼女の作風は物語を長々と語るタイプではないことが想像できる。ピンポイントの感情を綴り、そこからはリスナーの想像力に委ねる…そんな感じだろうか。続くM4「月明かり」はミドル~スローでややブルージーな代物で、アップチューンのM3から雰囲気は変わるものの、このM4の歌詞も、刹那とは言わないまでも、短い時間の中での感情を切り取っている。

《今夜だけは月明かり見上げるふりして/好きなだけ泣かせてね 心から言えるように/“ありがとう 今まで”》《あなたの面影が どこにでもあふれてるけど/やっぱり ここが 私の街だもの》《何日も考えたの ふたりがさよならを 選んだ訳を/同じ夢持たないで 生きてくのは 傷つけ合うんだと言ってたよね/聞こえる音も声もあなたの言葉になるよ/それでも ここで もう一度始めよう》(M4「月明かり」)。

ロストラブソングのようだが、これも決して後向きな内容ではなかろう。どんな状況においてもそこに甘んじないというか、そこだけに留まらないというのも、本作『恋』からうかがえる古内東子の歌詞の特徴と言えるのかもしれない…と少し思った。

“不安”は恋愛の重要要素!?

彼女の歌詞はピンポイントで感情を綴っていると前述したが、もちろん必ずしもそうではない。M5「そして二人は恋をした」辺りはほんの少し趣向が違っているように思う。

《こんな夜中に呼び出されても いちばんきれいな顔して会えないのに/慌てふためいて塗った口紅 そして二人は恋をした/きっと友達の顔ってあるのね それが今夜は少しずつどこかに消える/新鮮なあなた一秒ごと見つかる あの日二人は恋をした》《十年たってもきっと忘れない 高鳴る胸に苦しかったキス/夢の中でも夢だったこと あなたの腕が今そばにある/もっと二人で恋をしよう》(M5「そして二人は恋をした」)。

《二人は恋をした》と過去形であることから、過去にも思いを馳せている。続くM6「ケンカ」もそうだ。

《恋も遊びも仕事もみんなうまくいくことなんて/それはそれできっとつまらない/今の私の望みはたった一つ叶えばいい/大好きな人と幸せでいたい》《泣いて笑って怒って 忙しさに疲れるけど/それがきっと恋と呼ばれるもの/今の私の望みはたった一つ叶えばいい/大好きな人と幸せでいたい》《どうしようもない程わかってる/我慢が足りないこと わかってる/思い出そう あなたに出会う前の寂しい自分を》(M6「ケンカ」)。

やや時代がかった気もする《我慢が足りない》は甘んじて受け入れるとして、“寂しい自分を思い出そう”と過去を振り返るスタンスがなかなか興味深い。過去に比べたら今は幸せだ…という短絡的な話でもなかろうが、感情形成の背景が感じられて、短い歌詞にしっかりとした奥行きを与えている。

M7「どれくらい」とM8「余計につらくなるよ」も各々の内容を対比すると面白い。

《どれくらいの想いならいいの?あなたの自由を奪わずに/どれくらいの想いなら壊れないでいられるの?/愛しすぎて この気持ちが あなたの荷物になるようで/どれくらいの想いならずっと二人 いられるの?》《いつも自分を持ってる人 そんなあなただから なおさら/いつか疲れるのがわかるの だから急がなきゃ》(M7「どれくらい」)。

《もうすぐ終わる今年の手帳 一ページずつ読み返した/何もかも 満たされてた あなたを幸せにしてると思ってた/二人よりも大切なものが その胸の中に生まれたのね/何もかも変わってゆく あなたは一人でも黙って歩いてく》《めぐってゆく時はもう二度と きっと戻っては来ないけれど/お互いが優しさを 出会ってから今まで 少しずつ失くしてる》《心から愛しく思うまで どうか抱き寄せて口づけはしないで/余計につらくなるよ》(M8「余計につらくなるよ」)。

ともに微妙に内容は異なるものの、気持ちのすれ違いであったり、感情の行き違いであったりを描いていて、その不安な感じを、M7は未来形、M8は現在進行形で描いている。前述した刹那と並び、この“不安”というのも古内東子楽曲の中では重要なファクターであるということもできるのではないだろうか。M7、M8ほど成分は強くないが、どの曲も少なからず“不安”は漂っている。もしかすると、それは古内東子楽曲どころか、恋愛における最重要要素かもしれない。

ちょっとバブルっぽい匂いも残るM9「いそがないで」は、男女間の物語ではなく、女性からおそらく友人と思われる人に向けたものであるようなのは、本作では別機軸。こういう角度の恋の描き方もあるのかと妙に納得。

《"クリスマスにも仕事だらけ"と 忙しそうに電話を切ったけど/また一つ恋を失って その痛みから 逃げてるのわかるよ》《"ちょっと気になる"そう話してた あの人のこと誘ってみればいいのに/ありふれた毎日が ありがたく思えても それはただのイリュージョン/メリーゴーランドは まだ回ってる》《そんな風に いそがないで/今よりもっと幸せになる そのために、そのためには焦らないで/そんな風に いそがないで/出会えるチャンス通り過ぎてる/一人きり、一人きりなど慣れなくていい》(M9「いそがないで」)。

アルバムのフィナーレM10「宝物」も別機軸と言えば別機軸。そして、ここでも若干揺れる感情が描かれている。

《二人で過ごして来たあの日々は/これからも私にとって宝物だから/どこかで傷みを感じながら恋をして/この腕の中 この小さな腕の中/誰かを抱くでしょう/宝物だから》《一度入れたメッセージ 聞いたかわからないけど/返事がなくてよかった ずっと待ってたけど/「別に用はない」なんて 見え透いた嘘はきっと/あなたはわかっていた/寂しい気持ち 会いたい気持ち/さよならを決めたのは私なのに/教えられたの あなたの強さとやさしさに》(M10「宝物」)。

《宝物》と言っているのだから過去をまるごと否定はしていないが、かと言って、完全に前向きなのかと言えば、そうでもない。《さよならを決めたのは私なのに》辺りに少しばかりの後悔が滲んでいる気がする。やはり、不安は恋愛において大事な要素であるようだし、もっと言えば、恋愛物語に抑揚や機微を与える上で欠かせない要素なのかもしれない。…と、恋愛貧者を自称する筆者ですら、このアルバム『恋』を聴くことで、そんなふうに“恋とはこういうことなのだろうか”と考えるきっかけにはなった。古内東子がかつて“恋愛の教祖”と言われたも十分にうなずけるというか、納得できるアルバムであった。

TEXT:帆苅智之

アルバム『恋』

1997年発表作品

<収録曲>
1.悲しいうわさ
2.ブレーキ
3.大丈夫(remix)
4.月明かり
5.そして二人は恋をした
6.ケンカ(album version)
7.どれくらい
8.余計につらくなるよ
9.いそがないで
10.宝物(album version)

『これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!』一覧ページ

『これだけはおさえたい洋楽名盤列伝!』一覧ページ

『ランキングには出てこない、マジ聴き必至の5曲』一覧ページ

© JAPAN MUSIC NETWORK, Inc.