「哲学芸人」の正面突破な読書会 早大大学院から転身のマザー・テラサワ 題材はカント、ニーチェなど

ニーチェ、バタイユ、サルトル、フーコー。偉大な哲学者、思想家のテキストを元にした読書会を続けるピン芸人がいる。マザー・テラサワ(39)は〝哲学芸人〟を掲げ、哲学思想とお笑いを融合させたネタを繰り広げる。「哲学者の名言集のようなことはしたくない」と、文化系のお笑いで散見される「あるあるネタ」「名言ツッコミ」などは拒否。「芸風に裏打ちされた成果を残せて、自分自身の勉強にもなる」と読書会「思想のユーモア/ユーモアの思想」を開始した。

読書会を編集した冊子を手にするマザー・テラサワ

ステージと同様、大学教員のようなスーツ姿で読書会に臨む。主に公民館の和室を利用し1カ月に1、2回のペースで開催。現在は硬派なテキストと、映画や小説などを交互に取り上げる形式に固まった。来場者は毎回5~10人程度。開始1年後からは芸人仲間しまだだーよ(スペースランド流星群)を聞き手役に配し、お笑いを交えながらテーマの講義を進めていく。「思想や理論だけではなく、その時代背景や社会環境にも触れてユーモアを交えながら哲学者の人物像をお伝えしたい」と語った。

第1回は2014年1月31日、プラトン「ソクラテスの弁明/クリトン」を取り上げた。来場者は1人。「別のイベントで初対面だった男性に声をかけたら、彼だけが来てくれました。正面に向き合いながら話し続けましたね。当時はお笑いライブで告知したら怪しいセミナーと疑われ、マドレーヌを来場者に提供するようになると〝マドレーヌを配る会〟と呼ばれましたが、しつこく続けてきました」。同年夏に行ったマルクス「経済学・哲学草稿」の回では来場者がおらず、独りでツイートを打ちまくった。開講前には必ずテキストの通読を行う。「読むのが一番苦しかったのはカントの『純粋理性批判』でした。理性のメカニズムへの追求に、抽象論で空中戦を繰り広げていくような…読書会に4カ月連続で取り上げたのですが、最後は誰も来なくなりました」と苦笑い。エンタメ性を意識し、少しずつ軌道に乗った。

(右から)マザー・テラサワ、しまだだーよ

マザー・テラサワは北海道北見市出身。横浜市大商学部経済学科に進学し、社会学や経済思想に魅入られた。「地元が田舎だったので、田中角栄ら政治による国家の開発プロセスに関心がありました。後に問題が発覚するような開発を、なぜ当時の人々は支持したのかに関心を持ち、理論を研究してから実証を行うことを考えました。教官からは形になったら歴史に残ると言われるほど、今思えば大変なことを選んでしまいました」。ナチズムを起点に全体主義などの政治哲学で実績を残したハンナ・アーレントに傾倒し、早大大学院政治学研究科修士課程に進んだが挫折した。「研究テーマを絞りきれないままでアイデンティティークライシスに陥ってしまいました。なじめなかったんでしょうね。芸人になったのは、最初は完全に逃避でした」。哲学や思想にのめり込んだのは大学進学後。大学院では周囲との哲学・思想研究量の差、壮大な自身のテーマとのギャップに苦しんだ。

大学に背を向け、お笑いスクールに通った。活字を憎むほどの心境だったが、ほどなく再び哲学書を読み始めていた。そこに芸人としての個性を見いだし、方向性が決まった。2011年5月に活動を開始。「笑いを取るのは難しく、哲学はさらにハードルを上げるものでしたが、ほかの芸人は面倒くさすぎて手を出さないものなので、自分の存在意義はあると思っています」。芸人としての収入はわずかで、バイトを掛け持ちして生計を立てる。読書会を始めてからは学生時代より読書量が増え「ためてきた言葉が生きてくると思う」と、次回が出場資格最後となるR-1グランプリを目標にネタを磨いている。

読書会では今夏にプラトン「饗宴」の回が冊子化され、今後もシリーズが続く予定。開始8年目に入り「いろんな場所で開催できるようになりたいですし、本のように形になればうれしい」と夢を描く。次回の読書会は10月31日、森岡正博「無痛文明論」を取り上げる。BPO(放送倫理・番組向上機構)が〝痛みを伴う笑い〟を審議対象にしたことに関連して、哲学芸人の視点からアプローチする。

これまで取り上げた主なテキスト、題材は次の通り。

マザー・テラサワの「思想のユーモア/ユーモアの思想」で取り上げた主なテーマは次の通り。哲学・思想書にとどまらず、映画から漫画まで幅広く展開している。来場者が事前に通読、鑑賞していなくても楽しめる読書会を目指している。

◆これまで取り上げたテーマ(判明分)

プラトン「ソクラテスの弁明/クリトン」、フリードリヒ・ニーチェ「偶像の黄昏」、ジョルジュ・バタイユ「エロティシズム」、ジョン・デューイ「学校と社会」、ヨハン・ホイジンガ「ホモ・ルーデンス」、C・W・ミルズ「パワー・エリート」、アリストテレス「ニコマコス倫理学」、トマス・ホッブズ「リヴァイアサン」、カール・マルクス「経済学・哲学草稿」、カール・シュミット「憲法論」、アレクシ・ド・トクヴィル「アメリカのデモクラシー」、和辻哲郎「風土」、エドワード・サイード「オリエンタリズム」、ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術」、プラトン「饗宴」、ジョン・スチュアート・ミル「自由論」、ブロニスワフ・マリノフスキー「マリノフスキー日記」、手塚治虫「BLACK JACK」、ミシェル・フーコー「狂気の歴史」、海野なつみ「逃げるは恥だが役に立つ」、フリードリヒ・ニーチェ「善悪の彼岸」、板垣恵介「グラップラー刃牙」、福沢諭吉「文明論之概略」、関川夏生原作・谷口ジロー作画『「坊っちゃん」の時代』、柳田国男「明治大正史 世相篇」、赤塚不二夫「天才バカボン」、マックス・ウェーバー「職業としての政治」、山田芳裕「へうげもの」、ジュディス・バトラー「ジェンダー・トラブル」、ジョルジュ・ソレル「暴力論」、池田理代子「ベルサイユのばら」、ジョルジョ・アガンベン「開かれ―人間と動物」、よしながふみ「大奥」、エイリッヒ・フロム「悪について」、森岡正博・寺田にゃんこふ「まんが 哲学入門―生きるって何だろう?」、アンリ・ベルクソン「時間と自由」、無着成恭「山びこ学校」、矢部太郎「大家さんと僕」、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン「論理哲学論考」、山田ルイ53世「一発屋芸人列伝」、ヴィクトール・フランクル「夜と霧」、映画「カメラを止めるな!」、ジャン・ポール・サルトル「実存主義とは何か」、ジョン・ロールズ「正義論」、映画「ボヘミアン・ラプソディ」、ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福」、上田岳弘「ニムロッド」、セネカ「怒りについて」、ドラマ「チャンネルはそのまま!!」、オルテガ・イ・ガセット「大衆の反逆」、ノーム・チョムスキー「メディアとプロパガンダ」、小松成美「M 愛すべき人がいて」、ミシェル・フーコー「性の歴史」、映画「ジョーカー」、映画「男はつらいよ お帰り 寅さん」、プラトン「パイドロス」、アルベート・カミュ「ペスト」、映画「パラサイト 半地下の家族」、堀江貴文「東京改造計画」、ウィリアム・H・マクニール「疫病と世界史」、映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」、司馬遼太郎「坂の上の雲」、ルソー「社会契約論」、高山羽根子「首里の馬」、キルケゴール「不安の概念」、デイヴィッド・ベネター「生まれてこない方が良かった―存在してしまうことの害悪」、おぎぬまx「地下芸人」、吾峠呼世晴「鬼滅の刃」、カント「判断力批判」「純粋理性批判」、雨瀬シオリ「ここは今から倫理です。」、マックス・ウェーバー「古代ユダヤ教」、宇佐見りん「推し、燃ゆ」、レベッカ・ソルニット「それを、真の名で呼ぶならば 危機の時代と言葉の力」、ニューヨークYoutubeチャンネル「ザ・エレクトリカルパレーズ」、渋沢栄一「論語と算盤」、映画「ノマドランド」、ハンナ・アーレント「全体主義の起源」、浜村凡平「37年来 ~敗残の記~」、藤田省三「天皇制国家の支配原理」、Elliot Ackerman, Admiral James Stavridis「"2034: A Novel of Next World War」、モンテスキュー「法の精神」、高杉良「銀行大統合 小説みずほFG」

プラトン「饗宴」を取り上げた読書会を編集した冊子

(よろず~ニュース・山本 鋼平)

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