【取材の裏側 現場ノート】ソフトバンク一筋15年、6度のリーグ優勝、7度の日本一に貢献した長谷川勇也外野手(36)が21日の日本ハム戦(ペイペイ)を最後に現役を退いた。
ペイペイドームでユニホームを脱ぐ姿は、感慨深いものがあった。福岡の街が「日本一の歓喜」に沸いていた1年前。球団内から漏れ伝わってくる物憂げな声が今でも忘れられない。
2020年、日本一への戦いが進むにつれ、ホークスは〝危機〟に直面していた。それはFA行使を検討していた長谷川の「流出危機」。権利を行使すれば、同一リーグのライバル球団移籍が濃厚という見方が強かった。
14年に負傷した右足首の状態と付き合いながら、もう一花咲かせる――。本人の気力も十分だった。「他球団の話を聞いてチャレンジしてみたいという気持ちもありました。そういうところにやりがいを感じるんじゃないか、というような気持ちもありました」。プロ野球選手として至極まっとうな悩みだったが結局、長谷川は「FAせず、お世話になります。いろいろ考えた揚げ句、やっぱり福岡が好き。離れたくない。そこが強かったです」と残留を選択した。
「長谷川や(中村)晃がなぜ〝強い選手〟だか、分かりますか」。そうOBの球団関係者に聞かれたことがある。他球団でもプレー経験のある元野手だった。「ポジションを〝与えられた〟人間ではなく、自力でレギュラーをつかみ取ってきた人間だからですよ」。
長谷川は2006年大学生・社会人ドラフト5位で専修大学から入団。3年目に159安打を放って打率3割1分2厘の成績を残し、お膳立てなしにポジションをつかんだ。そこから6年連続で125試合以上に出場。公になっていない故障なども乗り越え、地位を築いた。
「そういう選手はちょっとやそっとのことではブレない。すぐにはい上がってくる。だから実績が積み重なっていく」
次代を担う野手の台頭が叫ばれて久しい常勝軍団。長谷川だから伸び悩む後進に伝えられることがある。ゆえに「引退後」までを見据え、人材流出を危惧する声がチーム内には多かった。
誰もが知る「職人かたぎ」。厳しさの裏には愛があった。例年ポストシーズンの最中、宮崎フェニックス・リーグの中継を録画していた。「良い時も悪い時も見ておかないと」。慕う若手の成長過程を見逃したくないという思いからだった。野球と真摯に向き合ってきた尊い男。第2の野球人生が気になる。野球の神様からの「お告げ」を待っているはずだ。
(ソフトバンク担当・福田孝洋)