大村で建物跡発見 中世の禅宗寺院「聖宝寺」関連施設か 市教委発掘調査

底に石が置かれた柱穴=大村市竹松本町

 長崎県大村市竹松本町で、戦国時代から近世にかけての大型の建物跡が発見された。16世紀にキリシタンによる焼き打ちを受けた禅宗寺院、聖宝寺の関連施設とみられ、市教委は「これまで不透明だった市内の中世寺院の実態に迫る一歩として評価できる」としている。
 発見されたのは戦国時代後半から江戸時代中ごろにかけての計4棟の建物跡。戦国時代の建物跡が最も大きく、面積は72平方メートルで、柱を立てるための直径約1メートルの穴(柱穴)の底には、石や粘土が敷かれていた。
 江戸時代の2棟分の柱穴が集まっている部分もあり、もとあった建物の後に別の建物が建てられたと考えられるという。いずれも禅宗寺院を構成する本堂や庫裏などの可能性がある。柱穴からは16世紀の中国景徳鎮産のわんや17~18世紀の陶磁器なども出土した。
 聖宝寺の創建年代は不明だが、16世紀後半の段階で石高が174石と大村でも有数の寺院だった。だが、日本初のキリシタン大名として知られる大村純忠の時代だった1574年、キリシタンによる焼き打ちにより破壊。江戸時代に再建されたものの、石高は4石と激減した。今回の発掘調査では焼き打ちなどの痕跡は見つからなかったという。
 発掘調査は市道改良工事に伴い実施。来年1月まで現在の調査範囲から東の区域でも発掘を続け、調査後に埋め戻す予定。18日に報道機関向けに開かれた現地説明会で市教委の柴田亮学芸員は「寺院の構成や構造をはじめ、創建年代の解明につながる発見があれば」と述べた。
 23日午前10時からは、現地で一般向けの説明会も開かれる。問い合わせは市教委文化振興課(電0957.53.4111)。

発見された建物跡の位置関係。○印は柱穴(大村市教委提供)

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