秋山幸二、西本聖、石井琢朗、松沼兄弟… 今はないドラフト外入団で活躍した選手たち

日本ハム・栗山英樹監督(左)と巨人・石井琢朗コーチ【写真:石川加奈子、荒川祐史】

西本聖は通算165勝、野球殿堂入りの大野豊は軟式野球出身

日本のプロ野球にはかつて「ドラフト外」という制度があった。ドラフト会議で指名されなかった選手を対象に球団関係者が直接交渉して入団させる制度で、ドラフトが開始された1965年に導入、1990年を最後に廃止された。ドラフトで指名されなくてもプロの世界で才能を開花させた選手も数多い。ここではドラフト外入団で活躍した選手を紹介する。

【一覧】殿堂入りや兄弟選手も…ドラフト外入団で活躍した選手たちは

投手では、NPB通算165勝を挙げた西本聖が代表格。1974年オフに松山商から巨人に入団。同僚で1歳年上の江川卓に対抗心を燃やして活躍し、1981年に18勝を挙げて沢村賞を受賞、中日に移籍した1989年には20勝で最多勝のタイトルを手にした。ゴールデングラブ賞8度は、投手では桑田真澄と並んで最多。

大野豊は出雲商高を経て出雲市信用組合に就職。軟式野球部で3年間プレ―した後、1976年オフに広島に入団した。先発、救援両方で活躍し、通算148勝138セーブをマーク。1988年に沢村賞を受賞し、1991年には最優秀救援投手のタイトルを手にしている。2013年に野球殿堂入り。

松沼博久・雅之の兄弟右腕は1978年オフにそろって西武に入団。東京ガスから入団した右下手投げの兄・博久は1979年に16勝で新人王に輝くなど通算112勝、東洋大から入団した弟・雅之は69勝12セーブを挙げた。鹿取義隆は1978年に明大から巨人へ。19年間の現役生活で通算755試合に登板、91勝131セーブをマークした。

秋山幸二は監督としても実績、石井琢朗は投手から転向して2432安打

野手では何といっても秋山幸二だろう。熊本・八代高から1980年に西武入団。入団5年目の1985年から3年連続40本塁打以上を放ち、1987年に本塁打王を手にした。1989年にはトリプルスリーを達成するなど常勝西武の中軸として活躍。1994年にダイエー移籍後も中心選手として活躍、黄金時代の礎を築いた。ベストナイン8度、ゴールデングラブ賞11度受賞。2009年から6年間ソフトバンクの監督を務めた。2014年に野球殿堂入り。

通算2432安打を放った石井琢朗は足利工から投手として1988年に大洋(現DeNA)に入団した。1年目の1989年に17試合に登板、1勝を挙げるも4年目に野手転向。盗塁王4度、最多安打2度獲得するなどマシンガン打線のリードオフマンとして活躍した。広島を経て現役引退。現在は打撃コーチとして手腕を発揮している。

松永浩美は小倉工を中退して1978年1月に阪急(現オリックス)に入団。最初の1年間は練習生扱いだった。翌1979年に支配下登録されてスイッチヒッターに。1981年に1軍デビューし、1985年には盗塁王を獲得した。サイクル安打を2度達成、ベストナインを5度、ゴールデングラブ賞を4度受賞している。

他にも中日、西武でゴールデングラブ賞を9度受賞した外野の名手・平野謙、国立の東京学芸大からヤクルト入りし、今季まで日本ハムを10年間指揮した栗山英樹、ヤクルト、日本ハム、阪神、横浜で計21年間現役生活を送り、現在は評論家として活躍する野口寿浩らがドラフト外組。アマ球界では無名の存在がプロで花を咲かせた。

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(Full-Count編集部)

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