日本の美術史・視覚文化における「美男」とは? 埼玉県立近代美術館「美男におわす」展レビュー

完全裸体彫刻は男性像から始まった

筆者は、かつて雑誌『BRUTUS』で小コラム連載「ザ・美男子烈伝」(1995〜96年)を、『婦人公論」では描かれてきた男たちを取り上げる1ページ連載「MEN IN ART」(2012年4月[中断を経て]〜2016年7月)を執筆、『美術手帖』2016年4月号の「メンズ・ヌード特集号」では画家の木村了子さん、諏訪敦さんと男性ヌード像の歴史をめぐる自由奔放な鼎談に参加させていただいたことがある。

村了子 男子楽園図屏風 − EAST & WEST 2011 作家蔵
木村了子 男子楽園図屏風 − EAST & WEST 2011 作家蔵

美術史を振り返れば、完全裸体彫刻の始まりは古代ギリシャの青年像。にもかかわらず、いまでは「ヌード」と聞くと女性ヌードの写真作品を思い浮かべる方が多いだろう。とくに西洋美術ではルネサンス以降、古代ギリシャ神話の愛と美の女神アフロディーテ(ヴィーナス)をはじめとして数多くの女性ヌード像が描かれてきた。

だが、古代ギリシャ・ローマにおいても、また古代文化の復興を目指した初期ルネサンス美術においても、女性ヌード像よりも男性ヌード像の出現の方が早かった。古代ギリシャにおいては都市国家維持のために市民たる男性は心身を鍛え、いざ有事となれば兵士として戦う必要があった。こうした状況下で、年配男性者と少年との道徳的結びつきが推奨され、心身の区別なく同性愛が肯定されていた。

キリスト教信仰が浸透したルネサンス期においては、同性愛は忌むべき営みとされてはいたが、レオナルド・ダ・ヴィンチもミケランジェロも同性愛者であったのではないかという説はいまも根強い。古代彫刻研究の高まりとともに現実の男性の骨格や筋肉を綿密に観察し、視覚化することに画家も彫刻家も邁進していた時代。理想的な男性裸体を礼賛していのはまず男性の鑑賞者だったのではないだろうか……。

イギリスの美術史家ケネス・クラークによれば、解剖学的な知識の蓄積とともに男性裸体像を描いた絵や彫像を鑑賞しつつ、各筋肉の部位名を確定できることが当時の鑑賞者の教養として認められていたらしい。画家の山口晃氏が言っていたのだが、脂肪にすべてが覆われている女性裸体よりも、男性裸体のほうが骨格や筋肉の構造を把握しやすいという。

初期ルネサンスの彫刻家ドナテッロや画家マンテーニャらは、古代彫刻を手本としつつも、観察に基づいて男性の骨格や筋肉を明確に表現しようと努め、時代の求める理想的な男性身体像を追求していた。女性の身体の曲線美に惹かれる画家や彫刻家はかつてもいまも多いだろうが、ルネサンス期の理想的身体像の追求が男性裸体像から始まったことを考えると、生ける人間の身体をどのように視覚化するかという造形的課題の基本は、やはり男性裸体なのだろう。

ならばなぜルネサンス以降、ヌード像を通して「女性美」がより多く賞賛されてきたのだろうか。歴史的経緯を考慮すれば「男性美」も賞賛されてしかるべきではないか。そして、洋の東西を問わず古代社会においては、着飾ることや化粧も共同体における身分や権力の象徴として男女ともに共有されていた営みであるのに、それらが女性専用となってしまったのはいったいいつからなのだろう……。などなど長年モヤモヤ考えていた身としては、「とうとうこういう展覧会が……」と感慨深く、チラシを眺めては開催を待ち遠しく思っていた(ムフフ&ニヤニヤしながら)。

会場風景より、第2章「愛おしい男」の展示風景

展覧会が問いかける、「美男とはなんぞや」

さて、その期待の「美男におわす」展。展覧会タイトルは与謝野晶子の有名な一首「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」に由来する。担当学芸員によれば、「美男におわ(御座)す」を「美男、匂わす」ととらえる人もいるという。「それはそれで間違いじゃないしいいかなと思いました」と。この命名の妙味も味わい深い。日本で制作された作品に焦点を絞り込み、展覧会は第1章「伝説の美少年」、第2章「愛おしい男」、第3章「魅せる男」、第4章「戦う男」、第5章「わたしの『美男』、あなたの『美男』」の5章で構成されている。

絵師不詳 大小の舞図 17世紀 板橋区立美術館蔵

江戸時代初期の風俗画から浮世絵、明治以降の日本画や少年雑誌の表紙と挿絵、第二次大戦後のアニメや少女マンガそして現代美術まで、時代もジャンルも超えた作品で構成され、我が国における「美男とはなんぞや」を問いかける。

「美男におわす」展ゆえ「整った美しい顔」のオンパレードかと思いきやさにあらず。菩薩像や仏僧に仕えた稚児、源義経などの武将や若衆(前髪のある少年)、人気歌舞伎役者、戦隊ものアニメのヒーローや少女マンガにおける少年像を形成する多種多様な「まなざし」と、そのまなざしを育んだ時代背景までもが丹念に解きほぐされていく。

山村耕花 梨園の華 初世中村鴈治郎の茜半七 1920 島根県立美術館蔵

たとえば、歌舞伎の歴史。出雲阿国に始まる女歌舞伎が風俗を乱すとして禁じられると、前髪を落とす前の若衆と呼ばれる少年たちによる歌舞伎踊りが流行する。だが、それもまた少年たちが性的対象となる風俗壊乱として禁じられ、月代を剃った成年男子による野郎歌舞伎へと変遷していく。

三宅凰白 楽屋風呂から 1915 京都市立芸術大学芸術資料館蔵

禁じられてもなお若衆を侍らせた武士が描かれた宴会風景や、華麗な着物をまとう若衆の立ち姿を描いた軸物、剃り落とした月代を隠す野郎帽子を被った若衆とくつろぐ武士、若衆と密会する上臈などなど、男女間のみに限定されず性愛におおらかだった江戸時代の風俗にも触れることができる。さらには歌舞伎役者の顔をアップで描いた大首絵や人気役者たちのいなせな立ち姿、明治以降に描かれた源頼朝や義経、平重盛など髭を蓄えた成人男性の「益荒男(ますらお)ぶり」まで、様々な角度から「男性美」の多様なあり方に触れることができる。

高畠華宵 月下の小勇士 1929 弥生美術館蔵
会場風景より、第4章「戦う男」の展示風景

大正から昭和にかけて一斉を風靡した高畠華宵による中性的な面差しの妖艶な少年たちの描写は、太平洋戦争による中断を経て、妖艶で謎めいた少年や男性を描く金子國義や山本タカト作品、川井徳寛や唐仁原希の少年少女像、マンガでは竹宮惠子『風と木の歌』、魔夜峰央『パタリロ!』、山岸涼子『日出処の天子』、よしながふみ『大奥』、車田正美原作のテレビアニメシリーズ『聖闘士星矢』へとつながっていく。

山本タカト Nosferatu・罠 2018 個人蔵

現代美術セクションでは、少年・青年たちを描く海老原靖や、超絶技巧的な手法を駆使しミステリアスな雰囲気を湛えた変化自在の武者像を大画面で展開する入江明日香、井原信次による絵画作品のほか、心もとなげなまなざしを投げかける舟越桂の彫刻をはじめ、金巻芳俊(彫刻)、四谷シモン(人形)、吉田芙希子(レリーフ)、ヨーガン・アクセルバル(写真)、森栄喜(写真)と、表現手段もテーマも多様な作品群が続く。

森栄喜 “Untitled” from the Family Regained series 2017 作家蔵 Courtesy ofKEN NAKAHASHI
入江明日香 廣目天 2016 丸沼芸術の森蔵
会場風景より、海老原靖《colors》(2021)

なかでも日本のイケメンを描き続けてきた木村了子作品の迫力とユーモアときたら! ハワイの浜辺でギターを奏でる青年、風呂上がりに牛乳瓶片手に月夜を見上げる中年男の尻! そして日本の農村で農業に勤しむイケメンたち(左隻)と、牛を乗りこなしバーベキューを焼くイケメンたち(右隻)の六曲一双屏風は、人物ごとの個性的な服装や小道具類、さりげなく描きこまれた和犬やウサギなど、大画面の隅々まで笑いのツボが埋め込まれていて楽しいこと限りなし。

会場風景より、木村了子《男子楽園図屏風 − EAST & WEST》(2011)の部分
会場風景より、木村了子《男子楽園図屏風 − EAST & WEST》(2011)

また、日常生活やインターネットで見出した男性像を様々な背景と組み合わせ、現代風の男性版「美人画」を目指しているという市川真也の作品も、男性たちの柔らかくおおらかな表情と明るい色彩に心が和む。

市川真也 Lucky star 2021 作家蔵

作品および作家の解説に加え、登場人物や物語主題の解説もあり、一点一点丹念に鑑賞していくと1時間ではすべてを見切れないほどの充実度。だが少女マンガが活況を示す高度経済成長期を思春期で体験している筆者には、少女マンガにおけるジェンダーの超克という歴史的な問いかけももう少し取り上げて欲しかったかな……。

会場風景より、竹宮惠子が表紙を描いた『JUNE』
会場風景より、よしながふみ『大奥』複製原画の展示

たとえば、大島弓子の『7月7日』。父の急逝後突如現れた「母」によって育てられた少女の物語(じつはその「母」は亡くなった父に思いを寄せていたが報われなかった青年であった)、また女性が生まれない時代における男性社会の性と人類の存続を問う萩尾望都の『マージナル』、ニューヨークの過酷な裏社会を生き抜く眉目秀麗で戦闘能力に優れた主人公と日本人青年との魂の交感を描く吉田秋生の『BANNA FISH』などなど。まあ、欲を言えばきりがない。

仏様にしても、ガンダーラ仏や中宮寺の菩薩半跏思惟像、興福寺の阿修羅像、東寺の帝釈天像などなど美麗なお顔の仏様も多く、いまや畏れ多くも「イケメン仏像」なる用語もあるらしい。仏様だから……と「美男」と断言できなかった我が身に巣食う「既成概念」に喝を入れましょう。与謝野晶子の革新性に改めて乾杯❣

会場風景より、唐仁原希(左)と吉田芙希子(右)の展示風景
会場風景より、入江明日香《L'Alpha et l'Oméga》(2019)の部分

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藤原えりみ(ふじはら・えりみ)
美術ジャーナリスト。著書『西洋絵画のひみつ』(朝日出版社)。共著に『西洋美術館』『週刊美術館』(小学館)、『現代アート事典』『ヌードの美術史』(美術出版社)。訳書に、C・グルー『都市空間の芸術』(鹿島出版会)、M・ケンプ『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(大月書店)、C・フリーランド『でも、これがアートなの?』(ブリュッケ)など。『キース・ヘリング アートはすべての人のために』展(中村キース・ヘリング美術館)、『村上隆のスーパーフラット・コレクション』展(横浜美術館)、『石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか』展(東京都美術館)の図録編集を担当。

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