ジャイアント馬場と異種格闘技戦を行った“超巨人”ラジャ・ライオンのその後

東スポを訪問したラジャ・ライオン(87年5月、東スポWeb)

【プロレス蔵出し写真館】東京・築地にあった東京スポーツ新聞社を一人の大男が訪れたのは、今から34年前の1987年(昭和62年)5月7日だった。

身長226センチ、体重120キロで21歳の空手家。自称パキスタンに敵なしという大男の名はラジャ・ライオン。ジャイアント馬場が唯一、異種格闘技戦を戦った相手だ。

プロモーションの一環として東スポを訪問し、リンゴを握り潰すパフォーマンスを見せ、女性社員を抱き上げたり、背の低い男性社員を見つけると真上からむんずと頭を掴むなどサービス精神を発揮した(写真)。

4月に馬場に対決を迫って来日したラジャは、27日に全日本プロレスの事務所を訪問した。その後、場所を渋谷の東武ホテルに移し会見を行い、「オレの相手は誰もいないし、出て来ない。チャレンジしても逃げられるだけ。日本のプロレスラー馬場をテレビで見た。この男ならオレの挑戦を受けてくれるはず」とまくしたてた。

5月1日に後楽園ホールで空手の師匠を相手にデモンストレーションを披露すると、馬場は正式に挑戦を受ける意思を表明した。

周囲は馬場との対戦まで、様々な形で盛り上げようと露出努力をしていて、時には場違いな風景もあったのは否めない。

8日朝、二子山部屋を訪問して稽古を見学。大関若嶋津(後の松ヶ根親方)とちゃんこを食べ、夜は4月に引退した〝ミスター赤ヘル〟広島東洋カープの山本浩二の謝恩会に出席。本人とも対面を果たした。テレビのバラエティー番組にも出演し片岡鶴太郎、柳沢慎吾らと共演した。

ラジャは、言葉が理解できないにもかかわらず笑顔で協力し、好青年の素顔を見せてくれた。

馬場との大一番は、6月9日、日本武道館でセミファイナルとして3分10ラウンドで行われ、軽やかにロープを飛び越えリングインすると館内は大歓声に包まれた。しかし、残念なことにここまでだった。

前蹴りを積極的に繰り出すものの、軸足がすべって尻もち。サイドキックを放つと馬場に両手でガードされ、マットに着地した足と軸足が折れるように転倒。館内から失笑が漏れた。

左ハイキックを馬場のあご、側頭部に命中させて見せ場はつくったが、2R、馬場にバックを取られてグラウンドに持ち込まれ、ボディシザースから裏十字固めを決められ1分44秒ギブアップ。当然なことに、試合内容は酷評された。

その後、ラジャはレスラーを目指し巡業にも帯同したが、デビューを果たすことなくひっそりとフェードアウト。翌88年3月11日に、後楽園ホールで姿を見たのが最後だった。

異種格闘技戦はラジャ戦が最初で最後と思われた馬場だが、自伝の中では63年にプロボクシング元世界ライトヘビー級王者アーチー・ムーアと異種格闘技戦を行い快勝したと記している。真偽は不明だ。

さて、馬場の前年に異種格闘技戦を経験したのは長州力だった。

全日本に参戦していた86年の元日興行で、カナダのトム・マギーと対戦。マギーはパワーリフティング王者で「ワールド・ストロンゲストマンコンテスト」上位入賞の常連選手だった。プロレスVS重量挙げの対決(実質、ミスター・ヒトの手ほどきを受けてプロレスデビューを果たしていたが)が異種格闘技戦? 頭を混乱させた試合だった(敬称略)。

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