四方台場@富山市西岩瀬 令和三年(2021)9月25日

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加賀藩は文化3年(1806)1月の『ロシア船に備えよ』との

幕命

を受けて以降、着実に海防の準備を進め、佐渡沖に異国船出没が伝えられた嘉永年間には、海辺防衛を一層厳重なものにするために、越中国を含めた沿岸一帯に御台場(砲台)を建設するなど、一連の防衛構想を実行に移していきます。

越中国

では、伏木に放生津を加え直ちに着工の運びとなりましたが、藩主視察の結果生地と氷見にも築造が命じられたそうです。

黒い☆印は先発築造の6ヶ所、赤い☆印は越中国、青い☆印は富山藩の台場を現わしています。

《越中の御台場を訪ねて第1弾》

大砲のレプリカと、砲台跡の復元展示は県内ではここだけ!

【生地台場】

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《越中の御台場を訪ねて第2弾》

加賀藩が最初に築造した6ヶ所の台場の一つで、越中初の台場はここだ!!

【伏木台場】

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《越中の御台場を訪ねて第3弾》

放生津八幡宮に痕跡を求めて。。。

【放生津台場】

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《越中の御台場を訪ねて第4弾》

氷見台場を訪ねて氷見市立博物館へ行ってきました。。。

【氷見台場】

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《越中の御台場を訪ねて第5弾》

加賀藩の沿岸防備に追随して富山藩も台場建設に着手しました。

その前に

そもそも越中(現富山県の中に、加賀藩と富山藩が別れて存在したなんて知らなかった(;^ω^)、と言う人も多いかも(;^ω^))

そうなんです、佐々成政が切り開いて統一した越中は、豊臣秀吉に反抗したばかりに秀吉配下の(元同僚の)前田利家と敵対関係になり、秀吉の成敗を受け敢無く降参💦

仕舞には九州に飛ばされ、成政の領地は利家の嫡男・前田利長に割譲されました。

なので、利長は能登の国・越中国・加賀国、三国の国主となったのです。時代は過ぎ、利長は義理の弟利常に代を譲りました。その利常が隠居をする際、嫡男には加賀藩を継がせ、次男利次には越中を割譲し富山藩を立藩し10万石で分封。また三男利治には大聖寺藩を立藩し7万石で分封したのです。

そう言ういきさつで、越中4郡「射水郡」「砺波郡」「新川郡」は加賀藩。真ん中の神通川流域の「婦負郡」は富山藩という飛び地になったのです。

地図中の赤い部分が「婦負郡」で富山藩の領地です。その他青い部分は加賀藩の領地。

地図は「ごの会」富山県立富山東高等学校5回生親睦会HPより転載させていただきました。→

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【富山藩四方台場】

富山藩では、安政元年に西岩瀬と四方間に「海固倉」を作り米三百石を詰め込んで異国船来週に備えていました。同年6月4日に発生したロシア船の伏木侵入は富山藩にも大きな衝撃を与え、苦しい藩財政をやりくりしての御台場建設を決断しました。文久元年(1861)7月に四方で測量を開始し、同3年に四方西岩瀬間に節気を見ます。また、抜髄設備として海防御役所と見張り所を設営し、桜台の高台で常時海上監視にあたりつつ、河原での鉄砲稽古を幾度も重ね、防衛力の強化に努めました。

場所は富山市四方から西岩瀬の何処

四方漁港から八重津浜海水浴場の辺りでしょうね。その東は臨海工業地帯で富山新港が広がっています。

なので当時の富山港すなわち岩瀬浦に対する防衛拠点だったと思われます。

◆富山港にある「富山港展望台」から俯瞰してみました。

富山港、神通川を挟んだ対岸が西岩瀬、四方地区

現在は、化学コンビナートから八重津浜海水浴場、四方漁港へと続きます。

同展望台内部に展示してある古地図

上に描かれているのが展望台のある東岩瀬地区、神通川を挟んで下に描かれているのが西岩瀬、四方地区となります。

【富山港展望台】

住所;富山市東岩瀬町地内

入場;無料

利用時間;9時から16時30分

では神通川を渡って西岩瀬・四方地区へ行ってみましょう。

◆四方緑地

東岩瀬・神通川富山港方向(新潟方向)

伏木港・新湊方向

こちらの緑地は砂丘に雑草が密集している状態。雰囲気はあります。

◆八重津浜緑地

八重津浜から四方(伏木・新湊)方向の海

八重津浜から東、富山港(新潟)方向

八重津浜緑地

芝生が整備されています。ここだけ切り取ったら台場跡と言い切っても良いくらいです(笑)

◆推定台場跡

四方緑地から八重津浜緑地のいずれかだったと思われます。

※参考資料、、、板垣英治「加賀藩の火薬」、「越中国の歴史と文化」

場所;富山県富山市四方西岩瀬(場所が特定されていませんので推定です)

地図;

◆★☆♪周辺散策◆★☆♪

◆四方漁港周辺

春になると「ホタルイカの身投げ現象」で大量のホタルイカが打ち上げられるポイントでもあります。

食べて美味しい、獲って楽しいホタルイカ♪

但し、何時でも誰でもと言う訳にはいきません。天候・時間・場所によってゼロから100まで、、、だから楽しいのかもしれません。

マニアの皆さんは情報共有が大切で、有料会員制サイトがあるくらいです。

※参考無料サイト→

[こちら
](https://toyamatome.com/hotaruika-minage/)

◆東岩瀬地区

こちらのキーポイントはやはり富山港を中心とした海運、北前船の寄港地があり廻船問屋が莫大な富を得た地区です。

それに伴う町並みと、運河・水路、さらに富山市内から乗り入れる路面電車???

岩瀬まち歩き

北前船寄港地・船主集落、、、大町新川町(旧北國街道)

「森家」「馬場家」などの廻船問屋が軒を連ねる

酒屋・田尻本店の店舗も森家土蔵群をリノベーションしてつかっています。オート三輪が時代をタイムスリップさせる

廻船問屋森家

銀行もこのように(笑)

桝田酒造

桝田酒造酒蔵

廻船問屋馬場家倉庫群をリノベーションした飲食店

「KOBO」コボブルーパブ

富山港展望台の足元にある岩の虎口を持つ問屋の倉庫跡

そこから古い町並みへ抜ける小径

土蔵が連なる倉群

一つひとつがリノベーションされ店舗にも使われている

古い町並みとそれを活かした新しいお店が融合し、観ても楽しく食べても美味しい町となっています。

◆運河・水路

富岩水上ライン

富山市内にある「富岩運河環水公園」から

春には運河の両側にある桜が咲き誇り、めっちゃ美しい

「中島閘門」を経て

水位の高さを水門で調整、水上のエレベーターみたいです(スエズ運河みたいなw)

富山湾、岩瀬運河を通って東岩瀬にある「岩瀬カナル会館」まで運行しています。

時刻表など運行状況は→

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◆路面電車が船の上を走る???

富山市内を走る路面電車「セントラム」と、岩瀬と富山を結ぶ富山ライトレール富山港線「ポートラム」が令和2年に繋がりました。

超低床次世代型電車「LRT」です。

右と左のホームの高さの違いに注目!

右はLRTに対応した新東岩瀬駅、左は旧東岩瀬駅。現在は地元に返して保存されています。

◆岩瀬まち歩きマップは→

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