ビートルズ『Let It Be』制作背景と“ゲット・バック・セッション”とは?

2021年10月15日に発売となり、日本でもデイリーランキング総合1位を獲得して話題となっているザ・ビートルズ(The Beatles)『Let It Be』の発売50年を記念したスペシャル・エディション。最新ミックスや未発表音源、グリン・ジョンズ・ミックスによる『Get Back LP』などが収録されたこの作品についての解説を掲載。その第1弾です。

__

“ゲット・バック・セッション”は何に戻るもの?

“ゲット・バック・セッション”と聞いて、すぐにあれこれ思い浮かべられるファンは、いまなら多いにちがいない。“リアルタイム”世代は、映画『レット・イット・ビー』の元になったセッションと言えばすんなり理解するだろうし、ある程度ほじくったファンは、ポールとジョージの諍(いさか)いを思い浮かべるかもしれない。

ザ・ビートルズがビルの屋上でライヴをやったこと、それがゲット・バック・セッションの最後を飾ったと言えば、ビートルズのことをほとんど知らない(若い世代の)音楽ファンにも伝わるのではないだろうか。

1969年1月に行なわれたゲット・バック・セッションとは、その名のとおり、「戻ること」を目的としたセッションだった。どこに戻るのかというと、「ライヴ活動」を再開することが主目的としてあった。

その背景として、主に次の3点がある。

  ① 1967年にマネージャーのブライアン・エプスタインが他界し、以後はポール・マッカートニー主導でバンド活動を続けてきたこと

  ② ジョン・レノンが特に1968年以降オノ・ヨーコとの活動を重視し、ビートルズの枠組みを取っ払った活動を行なうようになったこと

  ③ 1968年の『The Beatles(通称 White Album)』制作中にリンゴ・スターが一時脱退したこと

マネージャーの死後、グループを率先して引っぱっていったのは間違いなくポールだったが、リーダー的存在のジョンの気持ちがビートルズから徐々に離れつつあったことをポールは肌で感じていた。ライヴ活動再開以前に、バンドとしての結びつきの強さを今一度求める気持ちがポールには強かったのは間違いない。

ビートルズの“ライヴ活動再開”については、1968年の『The Beatles』制作時にすでに動きがあった。1968年12月に広報担当のデレク・テイラーは、こんなふうに語っている。「1969年1月18日にチャリティ・コンサートを開催し、チャリティ・ショーはテレビの特別番組として2回に分けて放送する。番組の前編はリハーサルの模様を流し、後編はコンサートを録画した映像を流す」と。

制作スタッフとして、マイケル・リンゼイ=ホッグと、彼とともに『ロックン・ロール・サーカス』を手掛けたトニー・リッチモンドが撮影監督に、またポールの依頼でグリン・ジョンズがレコーディング・エンジニア(実質的にはサウンド・プロデューサー)に任命された。

セッションの始まり

こうして1969年1月2日、ビートルズの4人は、ロンドンのトゥイッケナム・フィルム・スタジオに集まり、1ヵ月に及ぶゲット・バック・セッションが始まった。

早速、ジョンの「Don’t Let Me Down」やジョンとポールの合作「I’ve Got A Feeling」、ポールの「Two Of Us」、ジョージ・ハリスンの「All Things Must Pass」など、持ち寄った新曲のリハーサルを始めた。だが、やりなれたレコーディング・スタジオとは大きく環境の異なるだだっ広い映画スタジオでは、勝手が大きく違った。しかも、リハーサルの模様までカメラに捉えられているのだ。

それもで1月18日開催予定のコンサート(チュニジアにある3万5000人収容の円形劇場などが候補として出ていた)のためにセッションを続けていったが、セッション3日目の1月6日に、早くもポールとジョージの間で口論が繰り広げられる。映画『レット・イット・ビー』にも登場した、「Two Of Us」を演奏中のギター・フレーズをめぐる場面だ。それ以前のセッションでも、こうした場面は多々あったに違いない。だが、フィルムが回されている中での現場のシビアな状況が捉えられてはメンバーもたまったものじゃない。

そして1月10日。昼食後のセッション再開時に「バンドを去ることにした」とジョージがジョンに伝えたのだ。ジョージの脱退は、その後の動きに大きな影響を及ぼした。1月15日の打ち合わせ後、ジョージは次のような復帰の条件を出した。

  ① トゥイッケナム・スタジオでの撮影を中止すること

  ② ライヴ・ショーは(さらに)延期し、代わりに観客なし・予告なしで開催すること

  ③ テレビ番組用に用意していた曲に新曲を加えたアルバム制作をアップル・ビルの新しいスタジオで行なうこと

他のメンバーはジョージに同意し、1月20日にアップル・スタジオに再び4人で顔を合わせてセッションを続けることが決まった。

自分たちの“ホームタウン”でのセッションは、前半のトゥイッケナム・フィルム・スタジオでのセッションとは雰囲気も大きく異なり、アルバムと映画制作に向けて本気のセッションへと徐々に変わっていった。何より、ジョージの勧めで新たに加わったビリー・プレストンの参加が、セッションの流れを変える大きなきっかけとなった。

最後のライヴ“ルーフトップ・コンサート”

そしてまさに大団円となる、結果的にビートルズの“ラスト・ライヴ”ともなった屋上での演奏、ルーフトップ・コンサートが1月30日に行なわれた。このセッションは、観客はほぼ関係者だけになったものの、いわば公開ライヴ・レコーディングでもあった。

ビートルズの“ラスト・ライヴ”は、「オーディションに受かるかな?」というジョンの有名な一言で終了。映画『レット・イット・ビー』のハイライトを飾る印象深い場面として、多くのファンの目に焼き付く、最後の名演となった。

ゲット・バック・セッションは、翌1月31日に終了。残された音源はグリン・ジョンズに託され、紆余曲折を経て最終的に『Let It Be』として完成した。

__

ザ・ビートルズ『Let It Be』(スペシャル・エディション)
2021年10月15日発売

© ユニバーサル ミュージック合同会社