島原の乱

 日本史上、最大規模の一揆と言われる島原の乱が勃発したのは寛永14(1637)年10月25日、今の暦に直すと師走の初めごろ▲キリシタン文化が栄えた有馬の地は禁教令で一転、信者への迫害が激しさを増していた。領主の松倉家は重政、勝家と2代にわたって圧政を敷き、凶作に苦しむ領民に容赦なく重税も課した▲有馬キリシタン遺産記念館(南島原市)には、棄教(ききょう)を拒んだ信者や未納の領民に対する残虐な行為が紹介されている。蓑(みの)を巻いて火を放つ「蓑踊り」、雲仙地獄での拷問…▲数万人の一揆勢が最後に立てこもったのが、世界遺産で知られる原城跡。対する幕府軍は10万を超え、兵力の差は歴然としていた。キリスト信仰を脅威と見なした幕府軍の総攻撃で、一揆勢は女性や子どもも含めてほぼ全滅。城は破壊し尽くされたという▲市の資料では、葬り去られた歴史の本格解明が始まったのは平成の発掘調査。大量の人骨とともに鉛製の十字架などが相次いで出土した。死を目前に最後の祈りをささげたのだろうか▲悪政にあえぐ領民が命を懸けてまで勝ち取りたかったものとは。穏やかな生活か、信仰か、よきリーダーか。今なら選挙を通し、有権者のだれもが自分の意思を政治に反映させることができる。秋晴れの戦場跡を歩きながら、1票の重みをかみしめた。(真)

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