本紙歌壇選者を22年務め9月末で勇退 江頭洋子さん「楽しいことが多かった」

「歌を作ることで知らず知らずのうちに世界が広がり、充実した生き方につながる」と話す江頭さん=長崎新聞社

 22年務めた本紙歌壇選者を9月末で勇退した歌人の江頭洋子さん(87)=長崎市=に選者の思い出や歌作について聞いた。

 佐賀県神埼市出身。活水女子短大(当時)進学を機に長崎へ移った。短歌を始めたのは40代半ばの1979年。友人がいつも手紙の最後に一首添えていたのに憧れ、当時夫の転勤で住んでいた北九州市でコスモス短歌会に入会した。
 最初に作った歌は、夫の夕食にお刺し身を一皿加えたという内容で、「教室を軽くのぞいてみるつもりだけだったのに、初めてにしては良いとおだてられて、即入会することになって」と笑顔で振り返る。
 以来、道を歩いている時や台所、バスの中など、思い付いた時にメモを取って歌を作った。「構えて作ろうとするとかえってできない。日常をありのままに詠んで、みんなが『ああそうよね』とうなずいてくれたらとりあえず満足です」
 90年に県文芸大会20首詠で文芸大賞を受賞。2000年第1歌集「歌の翼に」、11年第2歌集「雲のフェルマータ」を出版。女性初の長崎歌人会会長も務めた。
 本紙歌壇選者は、1999年から担当。これまで投稿した人は全て記録を付け、総勢700人に上る。毎回多くの人から投稿が寄せられるが、掲載されるのはおよそ3分の1。
 「初めて掲載されて『赤飯炊いて喜びました』とはがきに書いてあったりして、皆さん楽しみに待っていらっしゃるのを感じていた」。選者として掲載された歌の内容や意味を聞かれたらきちんと答えられるよう、あやふやな箇所は投稿者に直接尋ねたり自分でも調べたりして、少し添削することもあるという。
 「新聞歌壇ではお会いしたことのある人、ない人からいろいろな歌が寄せられて、勉強させてもらった。楽しいことが多かったから長く続けられた」と話す。
 歌作のヒントを尋ねると「何々があったなどの説明ではなく、自分が感動したこと、感じたことを歌にする。難しい飾った言葉ではなく普通の言葉で、まずは五七五七七のリズムに乗せることを考えて作り続けるとだんだん上達していく。人の良い作品を読むこともとても大事」と語った。

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