国内唯一、技守り磨き30年 柳行李編む職人至芸 兵庫・豊岡

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柳行李を編む寺内卓己さん=豊岡市出石町魚屋

 四季があり湿度の高い日本で、衣類や書物などを運ぶ入れ物として古くから重宝されてきたのが柳行李(やなぎごうり)だ。「かばんのまち」として知られる兵庫県豊岡市はかつて、全国最大の産地として栄えた。合成皮革の普及などで需要が少なくなる中、国内で唯一、柳行李の技を守り続ける職人が出石の城下町にいる。(阿部江利)

 カチャカチャ、コンコン-。

 出石城下町の一角、たくみ工芸(豊岡市出石町魚屋)の工房から、材料のコリヤナギがこすれたり、板に当たったりする軽やかな音が響く。

 工房では寺内卓己さん(65)が、行李を編む作業の真っ最中だった。

 「素材や基本作業は同じでも、昔は大量生産のためか、もっとしんどい姿勢で作業してたようです。私は楽になるよう、少しアレンジしています」と笑う。

 柳行李の工程はまず、下処理を終えたヤナギを並べ、板を置いた上にしゃがみ込んで編み上げる。縦糸には長さや太さをそろえたヤナギ、横糸に麻を使う。ヤナギを1本おきに持ち上げ、間に麻糸を通す作業を繰り返し、板状にしていく。

 角の加工や編み目をそろえる技術が難しく、力も必要だ。そのため柳行李は男性が、飯行李や籠など目が細かいものは女性が手掛けることが多かったという。最盛期はコリヤナギの生産や行李の縁付けなどが分業されていたが、今は全ての工程を一人で担う。

 寺内さんは1978年、家業の柳籠・籐(とう)籠製造業に入門。すでに取り巻く状況は厳しかったが、柳行李の技術の高さや将来性にかけ、職人に弟子入りした。以来30年近く、技術を守り磨き続けている。

 柳行李を含む杞柳(きりゅう)細工は豊岡の地場産業として成長してきた。大正時代には、豊岡を中心に城崎、出石など一帯で約5千人が従事したとされ、昭和に入っても多様な商品を送り出してきたが、輸入品の増加などに伴い廃業や転業が続いた。

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 経済産業省によると、豊岡杞柳細工の「伝統工芸士」は現在、10人いるが、柳行李部門では寺内さんだけ。後継者育成が地域の課題となっている。

 今年3月、人通りが多い出石城近くに「伝統工芸館 杞柳」がオープンした。商品を展示販売する施設で、寺内さんに杞柳細工を学ぶ豊岡市の地域おこし協力隊員3人が修業しながら接客も担当している。

 寺内さんは過去にも弟子を取り、指導していた。最初に「中途半端な仕事やないで」と伝えるようにしている。腕一本で生計を立てる苦労を体感してきたからこそのアドバイスだ。師匠の技を見て盗むなど、苦労して身に付けた技術を、弟子には惜しみなく細かく手ほどきする。「仕事は3年で覚えられる。でも、そこからが職人の道だ」

 協力隊員の一人、大阪府出身の加藤かなるさん(26)は、7年間ドイツのフランクフルトで接客業をしていた。昨秋に着任以降、柳行李に触れて「この時代でも機械化できない奥深さ、職人の意志を知った」と話す。「まずは技術を身に付け、生計を立てるのが目標。いずれは産業がさらに発展するよう力を尽くしたい」と意気込む。 【豊岡杞柳細工】柳行李や籐籠などを含む豊岡市の伝統産業。円山川の河畔や湿地でも育つコリヤナギなどを編んでつくる。1992年に「豊岡杞柳細工」の名称で国の伝統的工芸品に指定された。江戸時代には藩が柳行李の製造販売を奨励し、全国で知られるように。明治時代には、後のかばん産業につながる柳行李に取っ手とバンドを付けた「行李かばん」が誕生。大正時代には柳や籐のバスケットが人気を集め、戦時中にも軍用品として重宝されたが、輸入品の増加などで衰退。優れた技術を持つ人を認定する「伝統工芸士」は現在10人で、柳行李は1人。

■技術に魅せられ写真集

 写真家の山口規子さん(55)=千葉県=は、たくみ工芸の寺内卓己さんとその技術に魅せられ、2019年に写真集「柳行李」を出版した。13年に歌舞伎公演の取材で初めて豊岡市を訪れた際に柳行李を編む姿を目にし、「柳行李をドキュメンタリーで撮りたい」との思いが湧いたという。

 柳行李作りは、四季を通じて作業がある。山口さんは少ない年でも年4回、5年以上にわたって豊岡に通い、作業の節目に立ち会っては記録を続けた。写真集は全80ページで、さまざまな作業や四季折々の写真、年表なども掲載している。

 19年には東京と大阪で巡回展を開催。「時代を先取りしている」と評判を呼んだ。日本の風土に合い、サステナブルで理にかなった美しさにひかれたという山口さん。庶民の生活に入り込んだものほど記録に残りにくいが、「美しさや誇りを記録に残すことで、日本にはこんなに素晴らしいものがあるんだと伝え、見る人に元気になってもらえたらうれしい」と話す。