元ヤクルトMVP砲が語るノムさん&NPBの教え「タカツさんとスワローズの健闘を」

ヤクルト、巨人でプレーしたジャック・ハウエル氏【写真:本人提供】

元ヤクルト・ハウエルさんはエンゼルス傘下1Aで監督を務めている

ヤクルト、巨人でプレーし、エンゼルス傘下1Aバーリントンで監督を務めているジャック・ハウエルさんが、Full-Count編集部のインタビューに応じた。ヤクルト時代の1992年にMVPを受賞。日米通算208本塁打(MLB108発、NPB100発)を放った大砲は、NPB時代の経験が今の指導に生きているという。野村克也監督からの学んだことなども語った。

ハウエル氏はメジャーデビューとなった1985年から91年途中までエンゼルスでプレー。米球界に復帰した96、97年もエンゼルスでプレーした。指導者生活には充実感を感じている。

「若い選手たちの監督を務めるのは大きな意味を持っています。責任も伴いますが、それ以上に意味があることです。なぜなら監督をしているチームは1983年にキャリアをスタートさせたエンゼルスなのですから」

マイナー1Aチームの指揮。エンゼルスと契約したばかりの選手たちの指導だが、ヤクルト時代の経験が生きているという。ヤクルト1年目の92年は前半戦8本塁打と低調だったが、後半戦に日本球界にアジャスト。後半戦で30発を大活躍した。打率.331、38本塁打と2冠王に輝き、リーグMVPにも輝いた。

「オールスター休みまで本当に苦しみました。球団が自由契約にするか、もしくは2軍に降格させるかもと私は実際思っていました。球団には『見切りを付けないでくれ』と伝えました。『なんとか問題を解決するから』と。シーズン後半戦はアンビリーバブルな活躍をして、MVPを取りました」

「その話を私はマイナーの選手たちに何度も聞かせています。野球のシーズンは長いので、(状態の)アップダウンを対処できるように努力すること。そして絶対に諦めず、信念を見失わないこと。そう言ったことを選手たちに伝えています」

現在はエンゼルス傘下1Aバーリントンで監督を務めている【写真提供:Angels Baseball】

野村監督のもとでプレー「試合に関する知識、細かい部分にまで目が行き届くところは興味深かった」

ヤクルトでは92年から3シーズン所属。野村監督のもと、左のスラッガーとしてリーグ2連覇、93年の日本一に貢献した。もちろんノムさんの教えは今も胸に刻まれている。

「(気持ちも状況も)安定させることがどれだけ大事か、ということですね。ノムラさんと一緒にプレーさせてもらったこと、そして日本シリーズで共に勝利を分かち合えたことに心から感謝しています。試合に関する知識、そして細かい部分にまで目が行き届くところは印象深いものでした」

92年から3年連続でシーズン20発以上を記録。破壊力のある打撃でヤクルトを牽引したが、日本球界からはチーム打撃の大切さを痛感したという。

「日本でプレーしたのは1992~1995年とかなり昔のことなので、今は分かりませんが、当時はチームプレーが大事でした。チームバッティングです。長打はボーナスのようなもの。チームとして、勝つ時も負ける時も(全員が)一緒にいるのです」

リーグ優勝へ走るヤクルトの戦いぶりを海の向こうからもチェック。現役時代に同僚だった高津臣吾監督へ“さん”をつけてエールを送る。「タカツさんとスワローズの健闘を祈っています。1995年以降、2度来日していますが、それから時間がかなり経っていますね。日本に戻ろうと数年間トライしました。コロナの影響でチャンスが消えてしまいましたが、ファンの皆さんや友人の元を訪ねる機会をうかがっているところです」と語る。

もちろん、エンゼルスで活躍する二刀流・大谷翔平からも刺激を受けている。「アメージングですね。彼の偉業は言葉で言い表すことは不可能です。(二刀流選手の育成は)素晴らしい目標になりそうですが、残念ながら『言うは易く行うは難し』ということです」。エンゼルスを支える選手を育てるべく力を尽くしていくつもりだ。

【実際の画像】ブライアントにオマリー…元燕ハウエル氏の携帯に保存されているNPB助っ人大集合写真

ブライアントにオマリー…元燕ハウエル氏の携帯に保存されているNPB助っ人大集合写真【写真:本人提供】 signature

(小谷真弥 / Masaya Kotani)

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