岩崎宏美とAOR、歌謡曲不遇の時代を生き抜いた実力派シンガーの苦闘  1984年4月21日 岩崎宏美のアルバム「I WON'T BREAK YOUR HEART」がリリース

岩崎宏美「スター誕生」を経てデビューした正統派歌手

異論もあろうかと思うが、80年代はいわゆる “歌謡曲” といわれたジャンルが不遇の時期を迎えたように思う。

当時の日本の音楽界では “ニューミュージック” というジャンルがほぼ確立され、自ら作詞作曲しその楽曲を歌うシンガーソングライターがもてはやされるようになった。そのため楽曲制作を他者に依存する歌手は、どうしても軽んじられるようになってしまったように思う。

一方でアイドル歌手も “花の82年組” 以降、乱造されて多様化し、80年代半ばには女子高生達の課外活動のような “おニャン子クラブ” まで登場して、ヒットチャートを席巻するに至っては、激しく二極化が進み、あらゆる音楽番組は “素人” と “アーティスト” ばかりという信じがたい状況に陥った。

当時のおニャン子勢の勢いはそのメンバーのソロがずらりとランクインしてしまうぐらいだから、昨今のAKBグループのような生易しいものではない。当然のように楽曲で勝負したいアーティスト勢は、元々テレビに出ないことがステータスだった妙な時代の空気感も手伝って、おのずと番組はしらけたものになって行く。私にはこの流れが、テレビの音楽番組を早々につぶしていってしまったような気がしてならない。

そこで岩崎宏美である。

彼女は1975年にアイドルの登竜門『スター誕生』を経てデビューを果たしたのであるが、当初よりその歌唱力が注目されていたため、いわゆる “カワイ子ちゃん” 歌手とは一線を画した存在となっていった。

歌謡曲の黄金時代とも言える70年代の流れを汲み、正統派の歌手としてキャリア7年目にして彼女の代表曲ともいえる28枚目のシングル「聖母たちのララバイ」をリリース。ついに日本歌謡大賞を受賞する。

いくら歌謡界の頂点を極めたとはいえ、時代の流れはすでに微妙である。シンガーソングライター優位の風潮をきっと彼女は悔しく思っていたのではないだろうか。

「I WON'T BREAK YOUR HEART」プロデュースはデイヴィッド・フォスター

時は80年代半ば、彼女の苦闘ぶりを象徴しているのが、1984年リリースのアルバム『I WON'T BREAK YOUR HEART』である。

プロデュースは何とデイヴィッド・フォスター。ゲストプレーヤーにはTOTOのスティーブ・ルカサー等、大物アーティストを迎え、ロサンゼルスで録音された超豪華盤であった。

このレコーディングの狙いは彼女の芸域を広げ、アーティスト勢に負けない “ハクをつける” ことにあったと想像出来る。当時から一流ミュージシャンといえば、海外アーティストとの海外レコーディングというのがお決まりのコースだったからだ。

たとえ勢いを増しつつあったジャパンマネーが背景にあったとしても、そこでどれだけ本気で取り組んで結果を出せるか、シンガーとしては日本国内では一定の地位を築いてしまった彼女にとっては取組み甲斐のある大きなテーマであったろう。

事実、彼女はプロデュースを勤めたデイヴィッド・フォスターには徹底的にしごかれた事を述懐している。当然ながら決して馴れ合いやお飾りで依頼したわけではないのだ。

ご存じなかった方は是非、ビル・チャンプリンとのデュエット曲「Both of Us」を聴いていただきたい。まるでこのままパーラメントのCMに流しても全く違和感のない完成度!見事なまでのデイヴィッド・フォスター節である。

広がる活躍の場、ミュージカルやテレビドラマにも出演

しかし、実のところこのアルバムは商業的には成功していない。彼女のアルバムのラインナップからすると、あまりにも洋楽色が強く、異彩を放っているせいもあるかとは思うが、彼女のマネージメントが変わったことで、プロモーションが不足していたことが一因となった可能性は否定できない。

デビュー以来、約10年所属した芸映プロの所属を離れたことも彼女の苦闘の別の側面であったといえるだろう。テレビ出演の機会が激減する中で、次に彼女が新境地を開くのは1985年カメリアダイアモンドのCMソング「決心」を含むアルバム『戯夜曼』であり、これはシングルヒットも手伝って一定の成果を収めることになる。

以来、彼女はミュージカルやテレビドラマにも出演し、活躍の場を広げていくが、1988年、一般男性との結婚を機に引退生活に入ることとなる。歌謡曲不遇の80年代に全盛期を迎えた実力派シンガー、岩崎宏美の苦闘はこうして一旦終わりを迎えたのだ。

彼女の最初の結婚生活が決して幸福なものでなかったことは周知の事実であるが、復帰後、時代が変わり、彼女が残した楽曲こそが自身の再評価にもつながっている。我々が今も彼女の変幻自在の歌声を聴くことができるのは、きっと幸運なことに違いない。

※2017年5月5日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: goo_chan

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