大下剛史氏が〝ブレない男〟高津監督を称賛「目先の勝利を求めず奥川と村上を成長させた」

祝勝会で選手をねぎらう高津監督(代表撮影)

【大下剛史 熱血球論】高津臣吾はブレない男だということを再認識させられた。就任1年目の昨年2月にキャンプ地・沖縄の浦添で、こう熱く語っていたことを思い出す。「奥川は絶対にエースにしなきゃいけない選手。村上を4番にして、2人をそれこそ、日本を代表する選手にしなきゃいけない」。2年目の奥川はチームトップタイの9勝を挙げ、今やエース格。村上は不動の4番打者として日本を代表するスラッガーに成長した。

2人の素質の高さを考えれば放っておいても一流プレーヤーになっていたかもしれないが、そう簡単なものではない。実戦でプロのレベルの高さを実感し、悩み、苦しんで成長するのが選手には一番で、そこには使う側の我慢もいる。とかく若い指導者は目先の勝利を求めてしまいがちだが、高津監督は就任時の宣言通りに2人を投打の主軸へと成長させた。

かつて巨人の川上哲治監督がデビュー戦で4打席連続三振を喫した長嶋茂雄さんを使い続けたように、チームの大黒柱、球界を代表する選手に育てるには、使う側にも腹をくくる必要がある。高津監督には、その度胸があった。思い返せば、現役時代もそれほど球速はないのに「打てるもんなら打ってみろ」とばかりに、ど真ん中へ投げ込んでいた。

これまで投手出身の優勝監督と言えば、藤田元司さんや星野仙一、最近では工藤公康のような先発完投型が多かった。高津監督のようにリリーフ一筋だったタイプは珍しい。今年の投手陣のやりくりを見ていると、マクガフの守護神抜擢など経験者ならではの用兵が目を引く。使われる側の投手も「高津監督が『大丈夫だ』と言うのだから」と心強く感じる面があるのかもしれない。

豊富な人生経験も高津監督の武器だ。ヤクルトから始まって米大リーグに台湾、韓国と世界を渡り歩き、最後には既に名球会入りしていたのに国内の独立リーグでも投げた。自分で選んだ道を信じて突き進む姿勢は出会ったころの高校時代から何も変わっていないし、少々のことではへこたれない精神力と野球への探求心には目を見張るものがある。

そんな人柄や経験値の高さを評価して監督に据えたフロントも立派だと思う。昨オフにはFA権を取得した主軸打者の山田、抑えの石山と複数年契約を結び、小川の引き留めにも成功するなど、しっかりとバックアップもしてくれた。今回の優勝は現場とフロントが一丸となった結果であり、同じ広島出身の高津監督が宙を舞う姿を見て、目頭が熱くなった。

(本紙専属評論家)

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