2階建て新幹線の終焉

 【汐留鉄道俱楽部】10月1日、上越新幹線を走る2階建て新幹線車両「E4系」が定期列車としてのラストランを迎えた。8両編成の全車両が2階建てという、大量輸送を象徴する列車の終焉(しゅうえん)は感慨深い。当日は最後の姿を見ようと、大勢のファンが新潟駅や東京駅に詰め掛けたそうだ。

 

JR東京駅に到着したE4系最終列車=10月1日

 E4系のデビューは1997年。全車2階建て新幹線としては同じJR東日本の先輩、E1系が94年に運用を開始しているが、こちらは2012年に引退したので、E4系は、先輩に比べて随分長生きしたことになる。

 

 さて、今日話題にするのはE4系でもE1系でもない。新幹線の2階建て車両としてははるかに先輩である100系。こちらは東北、上越新幹線ではなく東海道、山陽新幹線を走り抜いた大先輩車両だ。

 

 実は今年4月、筑摩書房からちくま新書「新幹線100系物語」(福原俊一著)という本が出て、これがなかなか素晴らしい鉄道本だった。著者は電車発達史研究家で、本の帯に「関係者への綿密な取材に基づく記録」とうたっている通り、構想から車両の開発、運用まで、さまざまな分野の関係者から丹念に話を聞き、登場から引退までの歴史を丁寧に叙述している。巻末には新書には珍しい折り込みの図面まであって、鉄道資料としても非常に価値が高い一冊になっている。

 

京都鉄道博物館の100系車両(右)と「新幹線100系物語」(ちくま新書)

 数年おきにモデルチェンジする現在からは考えられないが、東海道新幹線は開通から約20年、初代0系だけが走っていた。国鉄末期の1980年代、それまでになかった居住性、利便性を実現しようと、いわば「国鉄の意地」を懸けて造った車両が100系だった。

 

 最大の売りは新幹線初の一部2階建て構造。85年のデビュー当初、2階建ては中央の2両で、2階部分はグリーン車と食堂車、1階部分は個室などだった。後に2階建てを4両に増設した編成も生まれ「グランドひかり」として親しまれた。

 

 しかし登場からわずか7年後、92年に「のぞみ」300系が登場し、100系は「2番手」の車両になってしまう。東京―新大阪を最速でも2時間50分前後はかかった100系は、2時間半の300系にかなわなかった。晩年は2階建て車両を外した8両編成で、山陽の「ひかり」として活躍したが、2012年に完全引退した。

 

 だが、速さだけではない魅力が100系にはあった。団子っ鼻の0系とは似ても似つかぬスマートな「顔」。車体の白色もクリームがかった0系とは違い、さわやかなアイボリーホワイトだった。2階のグリーン車は天井高こそ低いが、通り抜けの客がおらず落ち着いた空間だったし、トンネルの多い山陽と違い、東海道は富士山をはじめさまざまな景色を楽しめるのだが、2階席からの眺望は格別だった。

 

 同じ1964年生まれということもあって東海道新幹線をこよなく愛する者として、最も好きな新幹線の車両は今もなお100系である。グリーン車はもちろん、普通車も、乗客にとって快適な空間を提供しようというコンセプトにあふれた昭和の名車だった。

 

 ☆共同通信・八代 到

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