『トヨタGT-One TS020』日本人トリオが駆り優勝目前まで迫った怪物【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、ル・マン24時間レースに参戦したトヨタGT-One TS020です。

* * * * * *

 1994年〜1999年、GT1と呼ばれるGTカーがル・マン24時間レースの総合優勝を争っていた。このGT1の時代、当初は量産車ベースによるスーパーカーたちの争いとして始まったものだった。

 ACOやFIAにより「GT1はストリートバージョンが1台あればよし」と車両公認の条件を緩和したことで、年々過激化していった(1994年にはダウアー962 LMという、後の時代を予期していたような車両も存在した)。

 そして、GTとは名ばかりのクローズドプロトタイプカーが登場し、ル・マンの優勝戦線を競うようになった。そのGT1時代の究極形といえるのが、今回紹介するトヨタが開発したGT-One TS020である。

 TS020は、かつてグループCカー時代にトヨタTS010を苦しめた宿敵、プジョー905の開発責任者であったアンドレ・デ・コルタンツが陣頭指揮を執り、ドイツのケルンに本拠地を置くTMGにおいて開発が行われた。コルタンツが指揮したこともあり、かつてプジョー905でやりきれなかったことのアイデアが随所に盛り込まれた。

 レギュレーションを徹底研究してデザインされたボディは、空気抵抗を極力抑えながら大きなダウンフォースを得ることが重視され、フォーミュラカー的な要素も含む、GTというよりもプロトタイプスポーツカーと言えるほどの過激なスタイリングに仕上げられた。

 さらにエンジンは、グループCカー時代に使用された3.6リッターV型8気筒ターボのR36Vをベースとし、エンジン制御システムの変更やミスファイヤリングシステムの採用など、さまざまな箇所を改良。R36V-Rと名を改称して搭載していた。

 こうして、トヨタの悲願であるル・マン制覇に向け生まれたTS020は1998年に初登場、3台が送り込まれた。そのうちの1台が予選2番手を獲得し、いきなり速さを見せる。決勝でも序盤は1-2を占めるなど好走したが、ギヤボックスにトラブルを抱えて1台が後退してしまう。

 残り1時間と少し……というところまで首位を走っていた、もう1台も同じくギヤボックスのトラブルで脱落してしまい、結局、片山右京、鈴木利男、土屋圭市という日本人トリオの駆る27号車が9位を完走を果たすに留まった。

 翌1999年、有名無実化したGT1というクラス名称は姿を消し、GT1に属していたTS020は、新たに制定されたクローズドのプロトタイプカーが対象のLM-GTPクラスからエントリーすることになった。

 このGTPクラスでの参戦にあたってTS020には、燃料タンク容量の削減やGT1ではOKだったABSの禁止、タイヤ径の縮小といった規定変更に対応するためのモディファイが行われ、戦いへと挑んだ。

 前年に続き3台が投入されたTS020は、予選で1号車と2号車がフロントロウを独占。しかし決勝では1号車がトラブルで大きく順位を落とし、さらにその後首位を争っていた2号車も周回遅れと絡んでクラッシュしリタイア。これによって、着実に順位を上げていた片山、鈴木、土屋の駆る3号車がトヨタ総合優勝へ向けての大役を担うことになった。

 それまでは1、2号車に主力を集中させていたため、モノコックも前年に外国人組がレースで使用したものが当てがわれるなど冷遇を受けていた日本人トリオ駆る3号車だったが、1-2を占めるLMPカーのBMW V12 LMRを猛追する。

 BMWの1台が脱落したことで2番手に上がり、さらに首位を片山のアタックによって猛追したが、首位まで約20秒まで迫った時点で左後輪がバースト。ハイスピードセクションにおけるバーストにも関わらず、マシンをクラッシュさせずピットへと帰還した片山のテクニックは、さすがだったが、これによって勝負は決着。総合2位でのチェッカーとなった。

 その後、ル・マンを終えたのち、日本人トリオのTS020は富士スピードウェイで開催されたル・マン富士1000kmへ参戦。凱旋レースで優勝を目論んだが、勝利をあげることはできなかった。結局2年間で3回レースを戦ったが、一度も表彰台の頂点に立つことはなく一線を退くことになった。

 しかし、一度も勝てなかったものの、1999年のル・マンで首位奪還を目指し戦った片山、鈴木、土屋の快走劇とオール日本人ドライバーにおけるル・マン最上位という記録とともに、TS020というマシンは、日本人の記憶に深く刻まれた。

1998年のル・マンで終盤までトップを走った29号車。ドライブしたのはティエリー・ブーツェン、ラルフ・ケレナース、ジェフ・リースという3名。ブーツェンとケレナースは、前年にポルシェ911 GT1にも搭乗している。

© 株式会社三栄