なぜDeNAは宮崎敏郎に大型6年契約を提示した? 苦渋を舐めたFA戦線の過去

会見に臨んだDeNA・宮崎敏郎【写真提供:横浜DeNAベイスターズ】

「勘違いかもしれませんけれど、必要とされていると感じました」

DeNAの宮崎敏郎内野手が29日、横浜市内の球団事務所で会見し、FA権を行使せず残留することを表明した。球団と6年契約で合意していることを明かした。球団では、三浦大輔監督が現役時代の2002年のオフに結んだ6年に並ぶ長期契約。破格の大型契約に至った要因は何か。

「最初に(6年契約の)お話をいただいた時には、びっくりしましたし、まさか、という思いもありました。その反面、勘違いかもしれませんけれど、必要とされていると感じました」

率直にこう心境を明かした宮崎。今季は141試合に出場し、打率.301、16本塁打、73打点。2017年に首位打者を獲得したのをはじめ、シーズン3割を4度マークする一方、今季まで6年連続2桁本塁打を放ってる球界屈指の好打者だ。FA権を行使すれば、争奪戦となることは間違いなかった。宮崎も当初は「(移籍の意向が)あったりなかったり…」と迷いもあったことを明かしたが、提示された長期契約という“誠意”がモノを言った格好だ。

生え抜きでプロ入りから9年が経過し、現在32歳の宮崎は今年12月12日に33歳、6年後には38歳になる。球団側の口説き文句の中には「横浜で最後を迎えてほしい」とのセリフもあったそうで、実際のところ“生涯横浜”は確定的だ。さらに球団としては、三浦監督同様にチームリーダー、将来の幹部候補生と見ているのだろう。172センチ、85キロの体形と穏やかな性格から「ハマのプーさん」の愛称で皆に親しまれている。「自分はあまりいろいろ口で言う方ではない」と認めつつ「言葉で引っ張っていく性格ではありませんが、背中で引っ張っていけたらと思います」と語った。

心を決めた最終戦セレモニー「僕たちが勝たなくてはいけない」

ベイスターズのFAの歴史を振り返ると、これまでに10人が流出し(獲得は9人)、そのほとんどがチームの根幹を担う主力だった。1999年オフには守護神の佐々木主浩氏がMLBのマリナーズへ、2001年には正捕手だった谷繁元信氏が中日へ移籍した。そんな中で球団は2002年オフに、当時エースで1度目のFA権を取得した三浦監督と6年契約を締結したのだった。契約が切れた08年オフには「強いところを倒して優勝したい」との名ゼリフとともに残留している。

その後も主力選手の流出は続き、2010年オフには内川聖一内野手(現ヤクルト)がソフトバンクへ、2011年には村田修一内野手(現巨人野手総合コーチ)が巨人へ移籍。主砲2人は異口同音に「優勝争いができるチームでやりたい」と語っていた。当時のベイスターズは、2002年からの10年間で最下位8度、4位1度、3位1度の“暗黒時代”だったから無理もないが、三浦監督は「僕はこのチームで優勝したくて残りましたから、悔しいですよ」と唇をかんだものだ。

最近も2016年オフに山口俊投手が、昨年オフには梶谷隆幸外野手と井納翔一投手が巨人へ移籍した。宮崎の流出だけは是が非でも阻止しようという球団の強い思いが、契約年数にも表れたと言えそうだ。

また、2012年からDeNAが親会社となると、積極的な企業努力で観客動員が大幅に増加。宮崎が「心が決まったのは、ホーム最終戦の試合後。セレモニーでグラウンドを1周した時、たくさんのファンの方が足を運んで下さっていて、やっぱりそこで恩返しというか、僕たちが勝たなくてはいけないと思いました」と語った通り、やり甲斐のある状況ができつつある。

チーム自体も、2017年に3位からCSを勝ち上がり日本シリーズに進出。三浦監督就任1年目の今季は、コロナ禍で外国人選手の合流が遅れたことなどから最下位に終わったが、戦力は整いつつある。最終的に球団側へ「このチームで優勝したいです」と返答したという宮崎。長期契約初年度の来季から、チームにとって掛け替えのないピースであることを証明したいところだ。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

© 株式会社Creative2