YMO「CUE」:スージー鈴木の「OSAKA TEENAGE BLUE 1980」vol.2  1981年 3月21日 イエロー・マジック・オーケストラのアルバム「BGM」がリリースされた日

OSAKA TEENAGE BLUE 1980~vol.2

■ YMO『CUE』
作詞:高橋幸宏、細野晴臣、ピーター・バラカン
作曲:高橋幸宏、細野晴臣
編曲:YMO
発売:1981年3月21日(アルバム『BGM』)

テクノカットにしてみたい、YMOの大ブームがやってきた

兄貴との相部屋に置かれている、ベニアで出来た洋服ダンスの扉の裏側には、小さな鏡が付いている。

1981年の春、高校受験を来年に控えた僕は、その鏡を見ることが多くなっていた。左右の手で左右のもみ上げを押さえて。

「テクノカットにしたいなぁ」と心でつぶやきながら。

そう、もみ上げを切り落とした「テクノカット」にしたいと思っていたのだ。もちろんイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の影響だ。

大阪の街外れに、YMOの大ブームが吹き荒れたのは、1年前、1980年のこと。僕は中2。テレビや、心斎橋にあるソニータワーの大画面で見たYMOのライブ演奏に、完全にやられた。

しかし、翌1981年、潮目が変わった。3月発売のアルバム『BGM』。これが僕たちを当惑させた。ぶっちゃけ、よく分からなかったのだ。

『BGM』が、吹き荒れたYMOブームを吹き飛ばした。

若者は、分からないものには淡白だ。クラスのみんなは、1人1人、YMOから離れていった。まだフォークやニューミユージックの時代だった。YMOから、松山千春、中島みゆき、長渕剛へ。アイドルも元気になってきた。YMOから、田原俊彦、松田聖子、近藤真彦へ。

歯ブラシが描かれた不気味なジャケットに包まれた、訳の分からない曲が、みんなを遠ざけていく。みんな、ついこの間まで、体育館のマイクを大音量にして「トキオッ」て言ってたのに。中国の人民服のように学生服を着こなしながらロボットダンスを踊ってたのに。

ムキになった。

僕はYMO派で居続けよう。そう言えば、隣のクラスの高橋も、まだYMOにご執心だ。何といっても、難波のアメリカ村にある楽器屋で、単音しかでないモノフォニックのシンセサイザーを、20万円も出して買ったらしい。

僕と高橋は、YMO派で居続ける。そのためにはまず2人で、もみ上げをばっさり落としたテクノカットにすることだ。

新興宗教?「増殖」のアルバムジャケットが逆効果…

「あんた、アリスみたいな長髪にしたかったんちゃうの?」

まず母親が乗ってこない。大阪の街外れという風土では、テクノカットのような東京の流行を母親に説明するのは至難の業だ。そもそもがYMOを知らないのだから。

説明のために、アルバム『増殖』のジャケットを見せたのも、逆効果だった。見方によっては、あれほど不気味なジャケットはない。

「髪の毛なんかより、来年の受験のこと考えてや。兄ちゃんが私立やねんから、あんたには府立高校に行ってもらうで」

いつのまにか話が変わっている。

さらに話をややこしくしたのが、隣に祖母がいたことだ。奈良の山奥出身、大正2年生まれ。こうなるとYMOどころか、アリスもフォーク・クルセダーズも、ビートルズすらも知らない。

その代わり、大阪という街の地層の隅々に染み込んだ、土着的なあれこれには、呆れるほど詳しい。

「この辺ではな、昔っから、変な髪の毛にすると、新興宗教に思われんねん。●●教とかな、■■教とかな」

その次のフレーズが強烈だった。

「そんなんしたら、村八分になるで」

「●●教」「■■教」は聞いたこともない名前だった。もしかしたら、祖母が僕を追い詰めるために、その場で作ったデタラメな宗教なのかもしれない。

ただ「新興宗教」「村八分」という、YMOから途方もなく距離を隔てた単語を前にして、僕は押し黙るしかなかった。

結局、テクノカットはあきらめた。

日差しの中で聴いたYMO「BGM」

新しもの好きの高橋が、仲間内ではまだ珍しかったウォークマンを学校に隠し持ってきた。帰り道の近所の公園で、高橋と僕は、ステレオのイヤフォンを互いに分け合いながら、『BGM』を聴く。

春、いや初夏のような日差しがふりそそぐ公園の中、2人だけの「YMOタイム」。

数少ないお気に入りは、B面1曲目の『CUE』だ。僕にも、そして多分、高橋にも分かりかねる曲が多かった『BGM』の中で、この曲だけは違う。この曲は、分かる。

―― ♪Give me a cue I think I've nearly found you

「きっかけをくれないか 君のこと、もう少しで分かりそうなんだ」くらいの意味だろうか。『BGM』くん、君のこと、もう少しで分かりそう、分かるかも、いや、やっぱり分からないかも――。

『BGM』を聴きながら、当時発売されたYMOの『OMIYAGE』という本を、2人で読む。全盛期のYMOの息吹をパッケージした、冴えたセンスの写真集を、パラパラとめくっていく。

「ええなぁ、かっこええなぁ」

このかっこよさは分かるんだ。すべてがかっこいい。細野晴臣が歯を治療している写真ですら、かっこいい。でも『BGM』は――。

モタモタしているうちに、隣町の中学に動きがあった。面識はないのだが、同学年の坂本という男子が、テクノカットにしたというではないか。

「知ってるか、四中の坂本が、テクノにしてんて!」

「えー! なんやそれ! 放課後、見に行けへんか?」

大変な騒ぎである。そして、実際に、僕の周囲の何人かは、坂本のテクノカットを見物しに、隣町に行ったのだ。たかが、もみ上げを切っただけの話なのに、この町と隣の町が、上を下への大騒ぎになっている。

焦ったのは、先を越された格好の高橋だ。この近辺で最初にテクノカットにするはずだったのに。この近辺で最初に東京へ、いや「トキオッ」へ近付くはずだったのに。

高橋は、まなじりを決して、僕に告げた。

「俺も今夜、テクノにする」

テクノへのCUEをくれないか

YMOみたいだと思った。

テクノカットにした高橋が、3人のヤンキーに囲まれている。高橋を囲む3人の姿が、まるでYMOに見えたのだ。

さしずめ高橋は、YMOの3人の真ん中で無表情に佇んでいる松武秀樹だった。

「これがテクノカットか、かっこええのぉ!」

などと言いながら、ツルツルになった高橋のもみあげのあたりをヤンキーたちが、親指でグリグリとイジっている。

「高橋、アホやなぁ」という感じで、それを遠巻きに見る生徒たち。YMO派でいることを高橋と約束した僕も、ズルいことにその1人になっている。

「テクノ」は新興宗教のように嘲笑されるということか、この状況が「村八分」ということか―― 祖母の言っていたことは、あながち嘘ではなかったのだ。

それにしても、この大阪の街外れで、テクノポップを聴いて、テクノカットにして、テクノな感じで生きることなんて出来るのだろうか。

テクノな感じで生きるためには、どうすればいいのだろう?

テクノへのCUE(きっかけ)は、大阪という街の地層の隅々、どこを探しても、落ちてはいないみたいだ。

カタリベ: スージー鈴木

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