【新宿ゴールデン街交友録 裏50年史】クラクラのバイトに俵万智さんがいた

バイトをしていたころの俵万智さんと筆者(左)

新宿ゴールデン街の店舗はほとんどが3~5坪程の広さだ。カウンター7~8席、テーブル席が1個あるかないかの狭い店で、肩寄せ合い飲むのが特徴。オーナーのみが1人で自由気ままに開けているか、バイトの子などに任せているか…。

そんな中でクラクラはカウンター10席、テーブル2個7席ある、広いほうだ。開店からバイトの女性がずっと入っていた。歴代様々な子達にお世話になってきた。芝居や旅で店に出られない時は任せてもきた(今は隣の店舗とつなげ、2軒分、33席ほどある)。

そんなバイト女性の中に俵万智がいた。そうあの「サラダ記念日」の歌人・俵万智(58)だ。

何故に?と話すと長いが…作家・立松和平(2010年没、享年62)の娘さん、桃子が女子美の学生になり20歳を過ぎて和っぺいさんから許可が出てバイトを始めていた。

2002年の夏頃か。桃子が5年ほど勤め、辞める時にその俵万智と飲みに来て、万智さんの一言「あー、私もこんなお店で働きたいな…」と呟いたのがきっかけだった。

それから2年ほど、月に2~3回のペースでカウンターの中の人に。思うに「サラダ記念日」のお嬢さんイメージからの脱却を図ったのでは…と推測している(笑)。

数々の取材にも楽しげに答えていた「やっぱり人を見ているのが好きだし、私自身お酒も好きだから」と。

お陰で様々な客人も訪れてくれた。中村勘九郎(のちの中村勘三郎、2012年没、享年57)が野田秀樹(65)と来ていた時には、カウンターに座り、お客さんが来る度に「いらっしゃい」と声を掛け、入ってきた客の方が驚いていたり。

文化庁の河合隼雄長官も飲みに来てくれた。後に元文部科学省の映画評論家・寺脇研から聞いた話では「あんなに楽しい酒場は今まで知らなかった」と言っていたらしい。

万智さんはお客さんのボトルに短歌を書き、そのボトルを大事にし、酒を継ぎ足して今も保存している常連さんもいる。そんな酒場エッセーをまとめた本「百人一酒」にその当時の事が書かれている。お勧めです。その万智さん、コロナ禍の2020年7月、東京新聞にこう書いている。

「“濃厚な不要不急の豊かさの 再び灯れゴールデン街” かつてアルバイトをしていた新宿ゴールデン街のマスターに聞けば、ほとんどの店は2か月近く休業。飲んで語り合う事を不要不急と言えばそうかもしれない。けれどそこにこそ、目に見えない豊かさがあるのではとも思う」
酒場とはそうしたものさ! (敬称略)

◆外波山文明(とばやま・ぶんめい)1947年1月11日生まれ。役者として演劇、テレビ、映画、CMなどで活躍。劇団椿組主宰。新宿ゴールデン街商店街振興組合組合長。バー「クラクラ」オーナー。椿組秋公演「戦争童話集」(東京・新宿「雑遊」)を10月28日~11月7日に上演。

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