【昭和~平成 スター列伝】ストロング小林VS人間発電所 観客乱入で無効試合に

WWWFの総帥ビンス・マクマホン・シニアも小林の健闘を称賛した(東スポWeb)

前回は国際プロレスの“金網の鬼”ことラッシャー木村を取り上げたが、木村の前に不動のエースの座に君臨していたのがストロング小林だった。IWA世界ヘビー級王者だった小林は、1973年7月19日大阪で初の日本人同門対決で木村を退けている。

結局、小林は翌年に退団。新日本プロレスのアントニオ猪木と伝説の“昭和の巌流島”対決(74年3月19日蔵前)で歴史に残る名勝負の末に敗れると、その後は新天地を求めて単独米国遠征に出発した。

ヒールとしてWWWF(現在のWWE)を中心に活躍するのだが、当然ながらその実力を即認められ、8月26日には格闘技の殿堂MS・Gに初登場。猪木戦からわずか半年後の74年9月21日(ペンシルベニア州フィラデルフィア)は、猪木すら実現できなかった“人間発電所”ことWWWF世界ヘビー級王者のブルーノ・サンマルチノに初挑戦している。

どちらのベアハッグが世界一か――。大一番が決定するや小林は「ニューヨークに来たのはサンマルチノに挑戦するのが狙いだった。こんなに早く挑戦できるとは…。とにかく死に物狂いでアタックする。期待してください」と闘志を全開にした。

そして決戦のゴング。本紙特派員は試合の詳細をこう報じている。

「世界一の怪力男に日本マット界きっての小林が挑むタイトルマッチは期待通り力と力のぶつかり合いとなり、まれにみるダイナミックな試合となった。小林のセコンドには“銀髪鬼”ブラッシーの代行としてルー・アルバーノがつき、リングサイドからゲキを飛ばす。だがアルバーノは東部きっての悪党とあって大観衆は『外に出ろ!』とやじり倒す。小林は1万600人の観衆も敵に回して戦わねばならなかった」

それでも試合は好試合となった。「サンマルチノはグイと小林の腕を引き込んでベアハッグ。小林は歯をくいしばって耐えるとベアハッグで反撃。2人は抱き合ったままロープにもつれる。背骨折りを狙ったサンマルチノはここぞとばかりにバックドロップで後方に投げ捨てる。試合は30分を経過。王者はカナディアンバックブリーカーで担ぎあげようとするが、逆にベアハッグで粘られて2人とも場外へ転落。凄まじい殴り合いとなった」

ここで予想外の展開が起きる。アルバーノが小林にイスで殴るよう指示すると、血気盛んな観客30人ほどがリングに殴り込んできたのだ。アルバーノは逃げ、小林が王者を踏みつけると観客はさらにエキサイト。リング上は大混乱となってしまう。

「観客は小林に紙コップ、ポップコーンを投げつけハチの巣をつついたような大騒ぎとなる。試合は何が何だか分からない。ついにレフェリーが34分50秒、試合を停止して無効試合に終わった」

当時はMS・Gも血気盛んな観客が多く、同じような騒動は何度もあった。結局、小林の快挙達成はならなかったが、この後も全米をサーキットして名を上げた。

帰国後の74年12月12日蔵前では猪木と再戦して惜敗するのだが、全米で強豪を相手に腕を磨いてきた小林のファイトスタイルは実にどっしりとした重厚なもので、敗れたとはいえ猪木を圧倒した。75年には新日本に入団するのだが、IWA世界王者時代から猪木との連戦、全米遠征期はまさに小林の黄金期だった。
(敬称略)

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