選手の心意気で転身を決意 元阪神・木戸克彦氏が力を入れる女子野球発展の土台

侍ジャパン女子代表のヘッドコーチを務める木戸克彦氏【写真:小林靖】

デコボコのグラウンドにボロボロのボール…「そんな姿を見ていたら」

女子硬式野球界では、NPB球団公認の「埼玉西武ライオンズ・レディース」、「阪神タイガースWomen」が相次いで誕生。今年8月23日には「全国高等学校女子硬式野球選手権大会」の決勝戦が史上初めて甲子園で行われ、大いに盛り上がった。そんな中、侍ジャパン女子代表のヘッドコーチを務め、活況を陰で支えているのが、かつて阪神の名捕手として鳴らした木戸克彦氏だ。

阪神の球団本部プロスカウト担当部長を務める木戸氏が、侍ジャパン女子代表ヘッドコーチ就任を打診されたのは、2017年10月のことだった。「当時はまだ56歳で、もう1度(コーチとしてプロ野球の)現場に戻るチャンスもあるかな、と思っていたので迷いました」と振り返る。

クラブチームを視察し、実際に女子選手たちの姿を目の当たりにしたことが、新境地へ踏み出すきっかけとなった。

「おっ!と目を見張るようなプレーが結構あって、興味を引かれました。一方で、デコボコのグラウンド、ボロボロのボールで練習し、終われば大きな荷物を背負って電車で帰っていく。そんな姿を見ていたら、もっと日の目を見させてあげたいと思いました」

選手たちの心意気に感じ入り、一肌脱ぐ決意をしたのだ。

2018年、米フロリダ州で行われた「第8回 WBSC女子野球ワールドカップ」では、当時の橘田恵監督を支え、大会6連覇を達成。昨年11月に中島梨紗監督に交代した後も、現職にとどまっている。第9回大会は当初、2020年にメキシコ・ティファナで開催される予定だったがコロナ禍で中止が発表された。2022年にはアジアカップが予定されている。その傍ら、木戸氏は今年1月に発足した「阪神タイガースWomen」のアドバイザーにも就任した。

選手への声掛けに生かされる長い指導経験

PL学園3年の時には、捕手として春夏連続甲子園出場。特に夏は、奇跡的な勝利を重ねたことから「逆転のPL」と呼ばれ、旋風を巻き起こした。決勝でも高知商を9回裏に逆転サヨナラで破り、全国制覇を成し遂げている。法大進学後も東京六大学リーグを3度制覇。1982年ドラフト1位で阪神入りし、球団史上初の日本一に輝いた1985年には正捕手として活躍。ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)を受賞した。

現役引退後も阪神一筋で、コーチや2軍監督などを通算14年務めた。どちらかと言うと“コワモテ”と見られていると自覚していただけに、女子を教え始めた当初は細心の注意を払ったという。ミーティングに際し、関係者からは「個別でなく、選手全員を見ながら均等に話してください」とアドバイスを受けたこともある。

これまでの経験から「これは男女共通のことですが、今どきの若い選手は圧力がかかると、しなることができず、ポキッと折れてしまう。踏ん張ることができる選手が減りました」と実感。「叱るにしても『おまえらしくないぞ』とか『以前はできていたぞ』といった(励ます)言葉を添えるようにはしています」と明かす。

現役引退後の阪神ではバッテリーコーチを務めることが最も多く、野村克也監督時代の2001年などはピンチでマウンドに駆け付ける役割も担った。通例では投手コーチの仕事だが、「投手担当であってもキャリアが浅く配球の分からないコーチであれば、マウンドに行っても『頑張れよ』くらいしか言えない。短い時間でポンポンポンと要件を言えるのは、捕手出身のバッテリーコーチだと思います」と持論を語る。「最初に心を開くような一言をかけ、それから細かい話に入っていく」のが秘訣。長い指導経験は現職にも生かされている。

女子選手に促す指導者への道「女性にしか分からないこともある」

指導者として心掛けるのは「自分の考えや常識に当てはめようとするのは間違い」ということだ。

「僕も若い頃は勢いにまかせ、選手を一括りにして『ああせい、こうせい』と言っていた。年齢とキャリアを重ね、広く見えるようになりましたね。僕らは様々な選手を預かっている。体を壊させず慎重な育て方をしなければならない選手がいれば、年齢的に多少無理をさせても頑張らせるべき選手もいる。特に女子の場合は、個人差が大きいと思います」

そう語る表情は穏やかだ。

女子野球界の成長を受けて、指導者の育成も考慮するようになった。「技術のある男性から教わるのもいいけれど、心の拠り所として女性のコーチもいた方がいい。感覚的に女性にしか分からないこともありますから」と話すと同時に、選手に求めるものも変わってきた。

「これまでは野球を好きになってもらうことが先決で、現役を引退したらおしまい──というケースがほとんどでした。最近は『指導者になれるように、現役のうちから野球を深く勉強しておけ』と言っています」

女子野球は新たな歩みを始めたばかり。かつて阪神を日本一に導いた名捕手は、その土台作りに深く関わっている。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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