石原ブランド崩壊へ。31日に投開票された衆院選で大注目となった東京8区は、自民党のベテラン石原伸晃元幹事長が小選挙区で敗北、比例でも復活できなかった。弟の宏高氏も東京3区で敗北し、比例でギリギリ命拾い。特に伸晃氏は野党共闘に討ち取られた形だ。本紙はそんな伸晃氏が選挙戦最終日に見せた奇妙な行動を目撃していた。
伸晃氏は選挙事務所に集まった支援者らに「大将として申し訳ない」と何度も頭を下げた。
午後8時に投票箱のフタが閉じてすぐの秒殺。公示前にここまでの結果を予想していた人は少ないだろう。伸晃氏は当選10回を数えるが、東京8区は必ずしも保守王国ではなかった。むしろリベラルが強い土地柄で、だからこそ野党統一の候補がまとまりにくかった背景がある。しかし、れいわ新選組の山本太郎代表が突然、同区から野党統一候補として出馬すると表明。これで流れが変わった。
結果的に山本氏は降り、立憲民主党の吉田晴美氏が統一候補となった。選挙中は山本氏と吉田氏の合同街宣で“和解”をアピールするなど、「雨降って地固まる」となっていた。
一方で石原陣営は演説日程を公開しないステルス作戦を敢行。報道からの問い合わせにも答えず、大手紙記者ですら伸晃氏の演説を見かけたら教えてほしいとツイッターを通じて呼び掛けたほどだった。
街頭演説ではヤジも飛んだ。「ウソつき!」とヤジられた伸晃氏が戸惑う映像がテレビやネットで話題にもなった。伸晃氏は別の場所での演説中、「厳しい選挙戦だと思わざるを得ません。演説をすると邪魔をする人、暴力を振るう人、三十有余年でこのような経験をしたことはありません」と嘆いていた。
そんな伸晃氏が奇妙な行動を見せたのは選挙戦最終日だった。JR荻窪駅前で約10分ほどマイクを使って演説しただけで、“マイク納め”をしていた。午後8時以降はマイクを使わず駅頭に立ってアピールし続けた。
最後まであきらめない姿勢を見せていると思いきや、午後10時前になると伸晃氏が突如いなくなったのだ。それでも残っていたスタッフは「本人もうすぐ戻ります!」と声を張り上げていたが…伸晃氏が戻ってくることはなかった。
急に帰ろうと思ったのか、待ち構えていた報道陣をまこうと思ったのかは不明だが、スタッフが有権者に対して「本人戻ります」とウソをつくことになってしまっていた。その事態を招いたのは伸晃氏にほかならない。
石原慎太郎元都知事の長男で、叔父に石原裕次郎さんがいる華やかな家系。政治家としては経済再生担当相など閣僚を歴任し、派閥会長もしている。宏高氏は三男。一方で「最後は金目」「福島原発第一サティアン」など失言癖があり、批判を浴びることも多かった。コロナ禍では自身も感染。即入院したことに“上級国民”とバッシングを浴びた。石原ブランドにかつての面影はない。