〈じょうえつレポート〉上越市国際交流員ディーツ・ヤニックさん 日独両国の「懸け橋」に 五輪チーム受け入れに尽力 今後も信頼維持へ活動

 上越市オリンピック・パラリンピック推進室で国際交流員として働くドイツ人のディーツ・ヤニックさん(30)。2年以上にわたり、日本、上越とドイツの懸け橋を務めてきた。現時点で来年8月までの任期が残っており、引き続き両国交流の役割を担う。(平良木啓記者)

独との連絡調整 選手サポートも

 ディーツさんはドイツのボン出身。日本文化に関心があり、関西での留学生活を経て、令和元年8月7日に上越市の国際交流員として着任した。同市がドイツの体操・トランポリンとパラリンピック柔道チームの事前合宿を受け入れるホストタウンとなるため、ドイツ側との連絡調整、来越したドイツ選手のサポート、そして同市にドイツを紹介する国際交流の仕事が主な任務となった。着任直後の13日に、事前合宿の覚書を締結され、締結の場で口語通訳を行ったのが初仕事となった。

ディーツ・ヤニックさん。ドイツ文化紹介でイベントなどに出演することも多く、市民にはおなじみの顔になった

 ドイツチームとのやりとりは電子メールが中心で、日々のメールの翻訳などもディーツさんが務めた。令和元年11月にドイツのトランポリンチームの合宿が上越市で行われた際には、選手やコーチと同市内の飲食店に赴き、ドイツ側へ日本文化を紹介。また、英語も堪能なため、ポルトガルの体操選手2人の受け入れ(令和2年1月)も対応した。

 ドイツ体操チームの東京五輪直前合宿は感染症対策のため、選手たちの行動は大幅に制限された。ホテル滞在中の選手たちからの要望を受けて買い物を行うなどしてサポート。市内小学校とオンラインで交流した際にも選手側の会場から通訳を務めた。「市民との交流が十分にできなかったのは残念だったが、コロナ禍でもできることを考えた」と振り返る。

ドイツ体操チームの直前合宿で選手たちをサポート。小学校とのオンライン交流でも通訳を務めた(右下)

交流、企画次々事業の「顔」に

 上越市民がドイツについて知り、ホストタウン事業に関心を持つための仕事は数多く、事業の「顔」となった。学校へ赴き、児童生徒との交流を通じてドイツ文化を紹介したのは20回以上。一般市民向けにもドイツ語講座や工作教室といった企画を次々に行った。母国を紹介するため、あらためて勉強することも多かったという。

学校へ赴いての交流は20回以上実施。ドイツの学校とのオンライン交流を支援したことも(令和2年10月、飯小で)

 1年ずつの任期を更新する形を取っているため、現時点では来年8月までが任期となっている。10月30日から12月にかけてドイツ語教室が開講されるなど、オリンピック、パラリンピックが終了した後も、両国をつなぐ仕事に取り組む。「オリンピック、パラリンピックがきっかけでつくった信頼関係を、できるだけ良く維持できるようにしたい」と話した。

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