ポール10年ぶりのソロアルバム「マッカートニーⅡ」の評価はいかに?  1980年 5月16日 ポール・マッカートニーのアルバム「マッカートニーⅡ」が英国でリリース

__リ・リ・リリッスン・エイティーズ~80年代を聴き返す~㉑
Paul McCartney / McCartney Ⅱ__

ポール・マッカートニーにとっても1980年は節目の年

1980年というのは、年代の変わり目ってことで、やはりいろんなアーティストにとって、節目となった年のようですね。このコラムで取り上げた中でも、佐野元春、山下久美子、シャネルズ(ラッツアンドスター)、チャクラ、“The Buggles”、“New Musik”、“Airplay”がデビュー、“Hall & Oates”は大きな転機、山下達郎はようやくブレイク、という重要な一年でした。

中でも前回取り上げたジョン・レノンにとっては、重要どころか、5年ぶりに音楽活動に復帰してのアルバム『Double Fantasy』をリリースしたと思ったら、凶弾に命を絶たれてしまうという、運命の年だったわけですが、元相棒のポール・マッカートニーも、そこまでの大事(おおごと)ではないものの、“Wings”が実質解散(正式には1981年)するという変化の時を迎えていました。

Wingsが結成されたのは1971年8月。ビートルズ解散の1970年からわずか1年余りです。ポールはやはりバンドが好きだったんでしょうね。ソロでバックバンドをつけて、という形でもよかったんじゃないかと思うのですが、あえて、バンド形態にこだわりました。

ただ、やはりあまりにも突出した存在です。知名度ももちろん、曲作りの能力も、歌唱力も。何をどうしても、「ポール・マッカートニーとそれ以外」というふうに見られてしまいます。妻のリンダは別として、他のメンバーはやはり面白くないでしょう。実際、デニー・レイン以外はみんな2年前後で離れていきました。余談ですが、レインは…すごく人がいいんじゃないかな? 勝手な想像だけど、ロン・ウッドに似たタイプだと思います。

見られるだけではなく音楽内容も、実質どこを切ってもポール・マッカートニーで、もちろん彼自身の意識はソロとは違うものだったのでしょうが、バンドというものが生み出すケミストリーのたぐいはWingsにはほとんどなかったんじゃないか、と私は推測します。

商業的には、全米1位アルバムを5作、全米1位シングルも5作品と、大成功そのものの実績を残し、存続期間も約10年と、ビートルズより長かったのですが、おそらく、Wingsじゃなくソロとして活動していたとしても、ポールならそれくらいの結果は出せたんじゃないでしょうか。結局Wingsという存在は、ポールがバンド好きだから求めた、単なる活動形態に過ぎなかったような気がします。ともかくバンド感は希薄でした。

ポールがソロアルバム「マッカートニーⅡ」を作った意味

そして、1981年4月にはデニー・レインもついに脱退して、Wingsが完全消滅するのですが、その1年も前、1980年5月に、ポールはソロアルバム『McCartney Ⅱ』をリリースしました。「Ⅱ」ですから、当然これは彼の最初のソロアルバム『McCartney』(以下「Ⅰ」としていいですか)の続編でしょう。1970年発売の「Ⅰ」からちょうど10年でしかも年代の初頭、音楽性は違いますが、若干のリンダのコーラス以外、基本的にポールひとりだけの宅録もの、正に「ソロ」アルバム、という形は同じです。

ただ、「Ⅰ」をつくった理由は、ビートルズの解散という衝撃に傷ついた心を自ら癒すためでした。1969年9月、ジョンが脱退の意志を告げたことで、解散は決定的となり、ポールはまだ新婚だったリンダと自宅に引き籠もりました。このアルバムは「逃げ道」だったと彼は語っています(ポール・デュ・ノイヤー著「ポール・マッカトニー 告白」<DU BOOKS 2016年>より)。「Ⅰ」はポールの強い要求により『Let It Be』よりも一月早くリリースされて、その「あまりにも素早いソロ活動」にジョンは激怒したのですが、「Ⅰ」の発売日が決まっていたのに、アップルが『Let It Be』のためにそれを変更すると言い出したので怒った、というのが本人の主張です(同じく前掲書より)。立場違えば記憶も違うのはよくあることで、真実は分かりませんが、少なくとも解散のショックから立ち直るための音楽制作というのは本音でしょう。

一方、「Ⅱ」をつくりはじめたのは、Wingsのラストアルバムとなる『Back to the Egg』(1979年6月8日発売)リリース後の79年7月です。もちろんWingsの活動が終わったわけではなく、その後、UKツアー(1979年11~12月)を行います。「Ⅱ」のリードシングルになる「Coming Up」はこのツアーで演奏されており、79年12月17日のグラスゴー公演におけるライブ音源が、同曲のシングル盤(1980年4月11日発売)のB面に収録されています。

翌80年1月には、例の、ポールの大麻所持発覚でドタキャンとなった、Wingsの幻の初来日ツアーも予定されていたし、同年10月からは、Wingsとしてニューアルバム制作にとりかかっています。結果的には12月のジョンの死があってすべてが中断し、そのアルバムはWingsではなくポールのソロで、『Tug of War』として1982年に発表されることになるんですが、とりあえず、80年秋あたりまでは、Wingsに解散の気配はなかったように見えます。

だとすると、なぜ「Ⅱ」を79年7月という時期にレコーディングしたのでしょう。「Ⅰ」の続編をつくる心境になったのには、バンドの解散というつらい状況が共通していたと考えるのが自然です。

そう、どうやら、ポールとしては『Back to the Egg』の売れ行きがそれほどでもなかった時点で(全米8位 / 全英6位)、Wingsのことをかなりあきらめていたようです。

「Wingsはもうなくなったと伝えるのは簡単じゃない。どうしたって時間がかかる。その間は一切音楽をやらないか、この手のプロジェクトを考え出すことになるんだ」。日本ツアーでの事件のことは、「このバンドで日本に行きたくないという思いが、自分でもよく分からないうちに逮捕につながった、なにかがぼくになにかを伝えようとしていた」などと語っています(同じく前掲書より)。

「Ⅱ」を発売することで、Wingsはもう解散なんだよということを、遠回しに宣言したつもりなんでしょうかね。だったら、10月のニューアルバム制作のためのメンバー招集はなんだったんだろうな…。そのへんのことは前掲書でも語っていません。

そして「マッカートニーⅡ」の内容は

さて、「Ⅱ」の内容なんですが、これがはっきり言ってつまらない。ホントはつまらないからこのコラムで取り上げるのをよそうと思っていたのですが、調べてみるとリリースの状況が興味深くて、素通りできなかったという次第です。私としてはポール・マッカートニー史上、最低のデキだと思っています。

「Ⅰ」もインストの小品が多くて、酷評もあったそうですが、「Ⅱ」に比べればだいぶいい。「Everynight」は名曲だと思いますし、「Junk」も好き。「Maybe I’m Amazed(恋することのもどかしさ)」は人気曲ですね。「Ⅱ」の方は、この時代なので「打ち込み」やシンセを使って、ミニマル的なことなど、それまでのポール・マッカートニーらしくないものに挑戦しているのですが、ともかくどれもこれも曲が物足りない。

シングルの「Coming Up」は売れましたけど、“Talking Heads”なんかが始めたアフリカンなミニマル手法が目新しいだけの、なんてことない曲だし。ラストの「One of These Days」はポールらしい心地よいメロディだけど、曲全体としては弱い。とにかく大半は、新しく出てきたシーケンサーやシンセで遊んでいるだけのような半端な曲ばかりです。

それでも、全米3位、全英1位という成績で、ポールが全力を注いだ『Back to the Egg』を、なぜか上回っています。批評家たちからの評価は、発売当初はさんざんだったのですが、時を経て、チープな打ち込みの感じがいい、などと見直されているらしいです。あまーい! 私は見直しません。よくこれを、「10年ぶりのソロアルバムです」って発表できたな、とまで思います。

天才アーティストは自分がやっていることの凄さを自分では分かってない、ということはありがちで、だから逆にダメなときも自覚がないのかもしれなくて、ポールは「Ⅱ」を別によくないとは思ってなかったのかもしれませんが。

この40年後に発表された「マッカートニーⅢ」

面白いのは、2020年になって、『McCartneyⅢ』が発表されたことですね。10年目に「Ⅱ」が出ておしまいかと思っていたら、それから40年後に「Ⅲ」を出すなんて、粋な音楽ライフですね。まあ、前年あたりに思いついたのかもしれませんけど。

もちろん、ほとんどの音をポールが一人でつくるというコンセプトは共通です。今年(21年)になって、その収録曲をいろんな音楽家がリミックスした『McCartney Ⅲ Imagined』が出て、また盛り上がっていますね。Beckがリミックスした「Find My Way」のMVが、若い頃のポールの顔をCGで合成したベック?が不気味なダンスをしながら歩き回るというもので、インパクトがありました。

この「Ⅲ」は内容もいい。力作だと思います。アコースティックと打ち込みのバランスが良い加減だし、アグレッシブなサウンドにも果敢に挑戦しています。声にはさすがに少し「老い」も感じますが、でもよくそれをコントロールして、「安らぎ」や「説得力」に昇華していると思います。そして、ラストの「When Winter Comes」はアコースティックギターの弾き語りで、ポール本来の極上のメロディ。この歌はなぜか声も不思議に若々しくて、肩の力が抜けた歌唱がほんと心地よい。

何と言っても、ポールはやっぱり、当代最高の「音楽じいさん」です。

カタリベ: ふくおかとも彦

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