「生きる力」はスポーツで育めると断言する理由。日本人初・教育界のノーベル賞最終候補と考える“育成の本質”

私たちが生きる世界は加速度的に変化を続け、将来を予測することが極めて困難な時代になった。そんな正解のない未来を生きる子どもたちにとって、身に付けるべき大事な能力とは何か? 近年教育界で注目されているのが、「非認知能力」だ。偏差値やテストの点数、IQといった数値化できる能力とは異なる“見えない学力”のことを指し、「生きる力」ともいわれる。どうすれば子どもは「非認知能力」を伸ばし、未来を生き抜く力を身に付けることができるのだろうか――?

(インタビュー・構成=野口学[REAL SPORTS副編集長]、写真提供=Institution for a Global Society 株式会社)

正解のない時代を生き抜くために必要な力は、どうすれば身に付くのか?

テクノロジーの進化、自然環境・社会環境の変化、ウイルス感染症の流行……。世界の常識は一瞬にして移り変わり、“正解”はもはや存在しないといっていいだろう。これまでの日本の教育は“一つの正解を求める問い”が多かった。だが正解のない世界を生きるにあたって、誰かの定義した正解を追い求めることにどれだけの意味があるだろうか。正解は一つではないし、もしかしたら正解はないかもしれない。そもそも“問い”が何かすら定義されていない場合もある。知識を得るだけではなく、持っている知識をどのように活用すれば解決策を導けるのか。そうした学力とは異なる力を身に付けていくことが求められるようになった。

2020年度から実施されている新学習指導要領でも「新しい学力観」が提唱され、“個性”を生かす教育が重視されるようになった。そんな背景の中で、昨今教育界で注目されてきたのが「非認知能力」だ。

「非認知能力」とはいったい何か? なぜ「子どもの生き抜く力」といわれるのか? 子どもの「非認知能力」を伸ばすために、大人がすべきことは何だろうか?

Institution for a Global Society株式会社(以下IGS)研究員の髙橋一也氏は、「非認知能力を伸ばすのにスポーツは有効だ」と口にする。2016年には教育界のノーベル賞ともいわれる「グローバル・ティーチャー賞」の最終候補に日本人として初めて選出された教育界のトップランナーに話を聞いた。

社会的に成功している人の共通点は? スポーツ選手に当てはめて考えると…

――近年教育界を中心に「非認知能力」が注目されています。ただ一般的にはまだあまりなじみのない概念だと思いますので、まずは「非認知能力」とは何か?から教えてください。

髙橋:実は「非認知能力」についてはまだ明確な定義はありませんが、簡単にいえば「目標を達成するために必要な能力」だといえます。例えば、自分自身で目標を定める力、他者と一緒に協働する力、感情をコントロールする力などが挙げられます。

――今の子どもたちが大人になるころは、今以上に確実な“正解”のない世界になっていると考えられます。そういう時代においては知識やスキル(=認知能力)を持っているだけでは不十分で、目標を達成するためにどうやって問題を解決していくことができるかが重要になる。思考力・判断力・表現力など、課題解決に必要な能力全般を「非認知能力」と呼ぶということですね。

髙橋:海外の研究で「社会的に成功している人の共通点」を調べたところ、有名大学を卒業したとか、IQが高いというわけではありませんでした。レジリエンスといわれる逆境への耐性だったり、失敗から学ぶ、目標を定めてやり続ける、自分を客観的に振り返る、感情のコントロールなどの能力が高いことが分かってきたのです。

――スポーツの世界に置き換えると理解しやすいかもしれません。競技スキルや身体能力が高ければ必ずしも成功できるとは限らないという意味では、偏差値やIQといった認知能力だけ高くても成功できるとは限らないということですね。

髙橋:例えばサッカーで活躍した選手を見てみると、中田英寿さんは抜群に頭が良くて言語能力に優れているから、自分のプレーを客観的に見ることに長けていましたし、中村俊輔選手はずっとサッカーノートを書き続けていて、常に自分のプレーを振り返っていました。長友佑都選手も同じで、自分の失敗の原因が何かを考えることができる。自分の課題とか成長プロセスを“言葉化”して、それを練習に落とし込み、実行できる能力がある選手がやっぱり成功しているんですよね。

あとは文化的なアダプタビリティー(適応力)も関係していると考えられます。例えば川島永嗣選手や長谷部誠選手は、言語能力、社交性、対人能力が高いとお見受けします。そういうところが結構重要になってくるんじゃないかなと思います。

――確かに欧州で長く活躍した選手はみんな、競技とはまた別の能力も優れていると感じますね。

髙橋:ただ当然ですが、どの能力があれば必ず成功するとか、どんな教育をやれば必ず成功する、といえるものがあるわけではありません。先日、風間八宏さんも話していたのが(※)、サッカーの育成において、子どもたちはさまざまな能力・個性を持っていて、特定の指導をすれば全員がその通りに伸びるわけではない、と。「非認知能力」に関しても同じで、特定のトレーニングをすれば身に付くわけではないし、子どもによってどんな能力が伸びるのか、どう作用し合って花開くかも違う。だから子どもたちを取り囲む社会全体で育てていくことが重要なんです。
(※8月に開催されたIGS主催のオンラインセミナーにおいて、風間氏(セレッソ大阪アカデミー技術委員長)、長谷川大氏(山梨学院高校サッカー部監督)、井上志音氏(灘中学・灘高校教諭)、髙橋氏の4人で「子どもたちの特性を伸ばすために必要な視点とアプローチ」をテーマにパネルディスカッションを行った)

その前提となるのは、アタッチメント(愛着)です。それがないと、子どもは成長できない。では子どものころに両親と睦まじい関係がない場合は駄目かというとそうではなくて、例えば地域のおじいちゃん、おばあちゃんだったり、仲の良い友達だったり、周囲にいる人たちとの関わりがある中で育っていくと、「非認知能力」は伸びやすいといえます。

――学校教育、家庭教育、社会教育とある中で、そのどれか一つだけで事足りるわけでもないし、どれか一つが欠けていたら駄目だというわけでもない。全部が相互に影響し合い、補完し合うということですね。

指示通りに動かすか、「自分で考えろ」と放り出すか…両極端になりがちな教育

――子どもたちが「非認知能力」を伸ばしていく上で、周囲の大人はどんな意識を持つことが大事になりますか?

髙橋:風間さんの言っていた「人のせいにするな、物のせいにするな」というのがすごく重要です。専門用語でエージェンシーというんですが、自分で自分の人生のハンドルを握っているとか、自分の行動がどういう結果を生むかを認識する、というのが最初にあって、それができていないと「非認知能力」はなかなか伸びていきません。メタ認知とも呼ばれたりしますが自分を客観的に見ることだったり、誰か任せではなく自分が何をするかという主体性だったり、そういうものをどれだけ伸ばせるのかがすごく重要ですね。

――そういった観点から、日本の教育やスポーツの現場はどう見ていますか?

髙橋:やっぱりどうしても子どもたちの主体性より、先生や監督の指示通りに動くかどうかに偏っているように感じます。監督にやれと言われた通りにやっているんだけれども、いざそのシチュエーションではなくなったときや、予想外のシチュエーションが起きたときにどうするのか。常に自分で考えて行動するという姿勢が大事なんですが、自分で考えることができない選手になってしまっている。だからこそ日本って、個人は強いんだけど、集団になると弱くなってしまうというのは、スポーツの世界でもビジネスの世界でもよく見られるように感じます。

まず大事なことは「大人が子どもの話を聞く」ことです。学校でもスポーツでも、やっぱり先生やコーチは子どもの話を聞かない。例えばプレーがうまくいかなかった場合に、なんでうまくいかなかったと思う?とか、どうすればいいと思う?とか、もっともっと話を聞いた方がいい。でも「下手くそ!」とか「あと100本打っとけ!」とどなって終わりということが多いですよね。要するにやりっ放しでは、子どもたちは伸びないわけです。そのとき、自分はどういう状況だったのか、どう考えていたのか、なんで失敗したのか、これからどうすればいいのか。こうしたことを“言葉化”して、何回も何回も書き留めていく作業が重要です。そのためには、大人が子どもとの“対話”の機会を増やすことが必要だと感じますね。

――「話を聞く」といってもただ会話量を増やすのではなく、子どもたちが自分で自分を客観視したり、言葉化していけるような導きが必要だということですね。それでは対話において、大人はどういったことに意識することが大事になりますか?

髙橋:共通の認識を持っているか、というのはすごく重要です。これも風間さんは「目をそろえる」と表現していましたが、ここがブレちゃったらやっぱり機能していかないので。例えば守備ではどのゾーンでどうやってボールを取るのかとか、サッカー観、戦術観を共有しなきゃいけないと思います。

主体的に自分で考えて動くことができる子どもを育てようというときに間違いがちなのが、ほったらかしにしてしまうこと。「自分たちで考えてやっとけ!」みたいな感じで。

――その話を聞いて、 ジーコ(元サッカー日本代表)監督が頭に浮かびました。チームでの約束事を選手に徹底させた前任のフィリップ・トルシエ監督の方針と異なり、選手たちの自主性に任せて自由にプレーするよう求めましたが、逆に選手たちは迷いながらプレーしているように感じました。ブラジル人選手のように国全体でサッカー観が共有できていれば、選手たちの自主性に任せることでイマジネーションがより発揮されやすくなり、チームとしての完成度は高くなるものの、日本人選手の場合はまだそこまで成熟していなかった、ということだったのかなと。

髙橋:私はサッカーの専門家ではないので詳しくは分からないのですが、学習科学的に大事なのは、完全な放し飼いではなくて、スキャフォールディングというか、囲いをちゃんとつくってあげて、この中でやりましょうと。成長してきたら、囲いから出す、囲いを越えるという作業が必要になってきますが、それは次のステップだと思うんですよね。やっぱり監督はちゃんと自分の考えを持っていて、いざとなったら教えるというのが、対話においてはすごく重要です。

――最初から自分で考えろというのではなく、子どもたちが自分で考えられるような前提となる“型”をつくっておくということですね。その中で自由に動けばいいし、飛び越えそうだったら、自由に飛び越えさせたらいい。

髙橋:そうです。そこに閉じ込めてしまっても子どもたちは伸びないので、トップをたたかないように走らせることが大事ですね。

日本がチーム競技よりも個人競技の方が強い理由は?

――先ほど、スポーツの世界でもビジネスの世界でも、日本は個人では強いけど集団では弱いと感じるという話が出ていました。確かにオリンピックでも、個人競技に関しては柔道、競泳、レスリング、体操はほぼ毎大会メダルを取っていますし、近年は卓球やバドミントンも強い。東京五輪でのスケートボード、ボクシング、空手、フェンシング(※)の金メダルも記憶に新しいところです。一方でチーム競技に関しては、東京五輪こそ女子バスケットボールが銀メダルと躍進し、野球とソフトボールは金メダルを獲得しましたが、これまでの大会の傾向を見れば、世界トップクラスといえる競技は少ないように感じます。先ほども話していたように、子どものころから主体性が養われない指導を受けてきたことが一因にあると考えられるのですか?
(※団体戦は一つ一つの試合は個人対個人のため個人競技に含める)

髙橋:そうですね。あとはやっぱり横並びの傾向が強いと思います。僕はもともと外資系企業で働いていたんですが、個人の裁量で何をやるか決めることができます。ただ日本の学校の場合、授業で変わったことをやろうとすると保護者の方が嫌がるケースがあります。「●●先生しかできない授業をやったら、他のクラスの生徒がかわいそう。だから他の先生でもやれる授業にしてください」と。決して「君の授業はすごく面白いから、好きなようにやってみろ」とはならない。周囲に気を使わないといけず、個人のパフォーマンスをマックスにはできないわけです。

――確かに自分の価値観に当てはまらない子どもや部下がいた場合、自分の価値観を押し付けたり、自分の価値観の中に閉じ込めて抑え付けようとする人は多いと感じます。

髙橋:部活や学校現場でも、管理型が多いと思います。だから日本人にはストライカーが生まれづらいのではないかと思います。

あと、個人競技の場合は“自分が勝つ”ことだけを考えてやれますよね。ただチーム競技の場合はそうではない。

――チーム競技でも自分個人の能力を高めることは必要ですが、それ以外にも、チームの戦術の中でいかに自分の持っている力を出すことだったり、チームのコンビネーションを深めることだったり、“チーム”のために必要なことが出てきます。

髙橋:日本人の場合、チームになるとお互いに遠慮したり忖度(そんたく)したり、本当の本音で話すことがなかなかできない。日本の文化的な背景もあって、どうしても他に合わせようとしたりとか、気を使って主張できないとか、うまいプレーヤーがいたら違う意見を言いにくかったりとか、そういう部分はあると思うんですよね。ただやっぱりすごく強いチームというのは、ものすごく自分の意見を本音で言い合っています。

――確かにそれはビジネスの世界でも同じですよね。上司や同僚に自由に意見を言い合える社風の企業はどんどん成長していきます。ではどうすれば子どもたちは本音で主張し合えるようになるでしょうか?

髙橋:それはやっぱり“経験”しかないですよ。でもいつどこでそういう“経験”が起こるかも分からない。ただ指導者は、子どもが“経験”をする日が必ず来ると理解しておくことが重要ですし、それが必ずしも学校とかスポーツの中で起こるとは限らず、日常生活や家庭、友人関係の中で起こるかもしれない。だから学校・家庭・社会それぞれの場面で周囲にいる大人たちが常に子どもを見ている必要があると思うんですよね。

――子どもたちは必ずどこかで、本音で主張し合うことが個人としてもチームとしても成長につながるという成功体験をする、と。子どもがどこかで経験したときに、大人が気付いてあげられるかが大事だということですね。

髙橋:チームの誰かがそうした経験をしたときに、監督がうまく導いてあげて、その経験を振り返って言葉化することだったり、チームメートと共有したりできると、他の子どもたちにとっても変わっていくきっかけになるかもしれませんね。

日本人が海外で活躍するのも、外国人に日本で活躍してもらうのも、基本は同じ

――そう考えると、指導者だったり大人の意識は本当に大事だと感じます。ただビジネスの世界でも管理職を育成するのが難しいといわれますし、どうすれば指導や教育に携わる大人たちの意識を変えていくことができるでしょうか?

髙橋:比較すると、先生よりも生徒の方が柔軟に変わっていきやすいと思います。そのため、管理職をしていたときには、まず生徒を変える方に注力しました。生徒が変われば、先生も学校も変わっていくのではないかと。

ある意味では今の日本サッカーがまさにその現象ですよね。選手はどんどん欧州に出ていって、サッカーの最先端に触れて技術も戦術理解度も高い。でも海外での指導経験がある監督はほとんどいない。そこの現象と似ているところがあるなと。選手は海外に行っているのに、監督は海外に行かないんですか、と。

――先に子どもが変わっていくことで、大人も変わっていかざるを得なくなる、というのはありますよね。例えば、今の子どもたちは障がい者やLGBTQの方に対する壁が昔よりなくなっていて、むしろ親の方が慣れておらず誤った偏見を持っていたりする。でも子どもの価値観が変わっていけば、親もアップデートせざるを得なくなる、というのはあることだと思います。

髙橋:そうですね。生徒の方が変わっていくと、学校も変わっていくのだと思います。僕は6年間そうやって変えてきたので。多様性ですよね、本当に。障がいのある子、LGBTQの子、あとは帰国生など、さまざまな価値観を持つ子どもたちが交ざり合うことで、学校の幅が広がってすごく面白くなっていきましたね。

――多様性の高い組織、多様性を上手に生かしている組織の方が強い、環境や状況の変化に対応できて成果を挙げられる、というのは、ビジネスの世界でもスポーツの世界でもいえることだと思います。そういう観点で考えると、サッカー日本代表監督は外国人監督がいいのではないかとも感じます。日本人監督の方が選手とのコミュニケーションに問題がなく、日本人に対する理解もあるという理由から日本サッカー協会は現在「オールジャパン」を推進していますが、外国人監督やコーチを連れてきた方がサッカー観の多様性は生まれるのかなと。

髙橋:そうですね。繰り返しになりますけど、「言葉」なんですよね。例えば風間さんは徹底的に「言葉」の定義にこだわるんですが、それはなぜかといえば、言葉一つ一つに対してブレない定義をすることが重要だ、とドイツで学んだからだそうです。これはすごく欧米チックな考え方で、外国人監督の場合、言葉もそうですし一つ一つのプレーや考え方に対しても非常に細かく定義する。招聘(しょうへい)した側はその一つ一つを通訳を介して理解することも必要になります。でも日本人同士だったら細かく定義しなくてもなんとなく分かるだろうし、言葉も通じる。日本人監督ならコミュニケーションに問題がないというのは、、そういう認識なのかなと思うんですよね。

――でも日本人同士でも言葉の定義が人によって違うことはよくありますよね。曖昧なままなんとなく理解した気になってスタートしたけど、共通の絵を描けていなかった、というのはよくある話です。

髙橋:だからこそ自分を客観的に振り返って“言葉化”する力だったり、自分の考えを他者に伝える力を身に付けていく必要があるのです。中田(英寿)さんや長谷部選手が海外で成功してきたのは、まさにそうした力に長けていたからなのではないかと考えられます。

――日本人が海外に出て活躍するという面でも、外国人を日本に迎え入れて能力を発揮してもらえるような環境を創るという面でも、同じものが求められるということですね。

スポーツが「非認知能力」を高めていくのに有用な理由

――髙橋先生は、スポーツが子どもの「非認知能力」を高めていくのに有用だと思いますか?

髙橋:ものすごく有用だと考えています。例えば、試合で勝つには感情のコントロールやストレス耐性が必要になりますし、うまくなるためには振り返る力だったり、課題を見つけてそれをどう解決するのかもポイントになってきます。チーム競技だったら、他者と一緒に協働する力も必要になりますし、多様性も感じられるようになる。例えば僕はずっとバスケットボールをやっていたんですけど、バスケって同じような特性の選手が5人いても全然強くなれなれないんですよ。いろんな特性を持った選手がうまく交ざり合うことがすごく重要だったりする。お互いの特性を認め合って、どう生かすかとか、そういった能力が伸びていくものだと考えています。弊社には「Ai GROW」という児童・生徒の「非認知能力」を計測するアセスメントがありますが、部活を通して感情コントロールや耐性、協働性などが成長しているか、「Ai GROW」で部活の教育効果の検証を行う学校が増えており、こうした動きは自治体レベルでも進んできています。

――子どものうちにスポーツをやることで「非認知能力」がより身に付く、社会に出てより活躍できるとなれば、スポーツの社会的価値は今より上がっていきますね。

髙橋:スポーツはある意味で“遊び”の要素も入っていますよね。だから“夢中になれる”。この“夢中になれる”というのがすごく重要なんですよ。今の子どもたちがすごく苦手とするところで、“夢中になれない”んですよね。熱くなるのは格好悪いとか。でもスポーツの場合は本当に無限に熱くなれるじゃないですか。やっぱり子どもたちには夢中になるとか熱くなるとか、そういうことを学んでほしくて、本当に。その選択肢の一つとしてスポーツはものすごく可能性があると思っています。

――日本ではスポーツをやるとなったら、年間を通じて一つの競技だけを続ける風潮が強くあります。部活動でも一つの競技だけを追求しますよね。でもいろんなスポーツを経験していなければ、本当に夢中になれる競技が何かなんて分からない。そういった意味では、アメリカのようにシーズンによって取り組む競技が変わる、複数のスポーツをやるのが当たり前というのは大事だなと感じます。

髙橋:すごく大事だと思います。植田直通選手はサッカーだけじゃなくてテコンドーもやっていましたからね。

――大谷翔平選手も子どものころに水泳をやっていたそうですしね。

髙橋:絶対何か相乗効果があるはずですよね。

――より夢中になれるスポーツを見つけるという意味においても、少子化で子どもがどんどん減っていく中でパイを奪い合うというよりも、スポーツ界全体で複数スポーツを推奨する動きになるといいなと感じます。

<了>

PROFILE
髙橋一也(たかはし・かずや)
神田外語大学言語メディア教育研究センター客員講師(常勤)。Institution for a Global Society(IGS)株式会社 研究員。慶應義塾大学大学院、米ジョージア大学大学院でインストラクショナルデザインを研究(全米優等生協会選出)、蘭ユトレヒト大学大学院で認知心理学を学ぶ。2008年より都内の私立学校の英語教諭として勤務し、2016年度より中学教頭を務める。2016年には日本人として初めてグローバル・ティーチャー賞の最終候補に選出される。現在、日本全国の学校で授業力向上の支援にも力を入れている。

© 株式会社 REAL SPORTS