<金口木舌>「なはーと」の船出

 1日に開館した「那覇文化芸術劇場なはーと」の構内に、かつてこの地にあった久茂地小学校の閉校記念碑がある。石碑に刻まれた校歌から学校の空気が伝わる。「伸びゆく那覇の ただ中に 明るくつどう 久茂地の子」

▼久茂地小は1911年、久茂地尋常小として開校した。敷地の一部は琉球王国時代、地域の祭祀を執り行った上級神女「那覇(なーふぁ)大阿母(おおあむ)」の屋敷跡地だ

▼崇元寺から久茂地付近にあった海中道路の「長虹堤(ちょうこうてい)」は冊封使団が首里へ向かった要衝だ。校舎は44年の十・十空襲で焼失し、51年に再開した。那覇の中心市街地にあり、児童数が1800人を超えた時期も

▼近くに少年会館があった。教職員会などで構成する子どもを守る会が、全国から募金を集めて66年に完成。沖縄初のプラネタリウムや鉄道模型を備えていた。米統治下で劣悪な教育環境に置かれた子どもたちに夢と希望を与えた

▼時は街のかたちを変えていく。少年会館の建物を引き継いだ久茂地公民館は老朽化で2011年に閉館した。久茂地小の閉校は14年。少子化と人口流出は旧市街地の宿命だろうか

▼琉球王国の歴史をとどめ、子どもたちを育んだ地に生まれた「なはーと」。文化の中心となってほしい。開館を祝う久茂地の旗頭「盛鶴」が秋空に舞った。かつて、この地に集った子どもたちの歓声が聞こえてくるような気がした。

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