「お帰りなさい」 米で保管の日章旗が遺族の元へ 旧満州で戦死した長崎出身の松尾さん 

日章旗を手に記念写真に納まる松尾豊彦さん(右から2人目)ら=長崎市、県護国神社

 米国で長年保管されていた日章旗が1945年8月に中国北東部(旧満州)で戦死した長崎市出身の松尾昇さん(享年29)のものと分かり5日、同市城栄町の県護国神社で遺族に返還された。おいの松尾豊彦さん(84)=諫早市馬渡町=は戦後76年をへて手にした日章旗に「お帰りなさい」と声を掛けた。
 旧陸軍の歩兵隊員だった昇さんは終戦間際、旧ソ連軍との戦闘で死亡した。昇さんの日章旗が米国に渡った経緯は不明で、米モンタナ州の米国人が知人から譲り受けて保管し、今年になって返還活動を続ける米国の非営利団体「OBON(オボン)ソサエティ」に提供。同団体の日本人スタッフが持ち主を捜し、日本遺族会県連合遺族会が遺族を探し出した。
 返還式で同遺族会の山下裕子会長(79)は「古里に帰られてお喜びと思います」と日章旗を遺族代表の豊彦さんに手渡した。豊彦さんは「叔父の記憶はないが『俺が帰ってくるまで元気でいてくれて、ありがとう』と声を掛けてもらったような気がした」と話した。
 大戦中、出征した日本兵のほとんどが「寄せ書き日の丸」と呼ばれる日章旗をお守りのように携えた。その多くが戦場から戦利品として米兵らに持ち去られたという。
 今回、日章旗には長崎高商(長崎大経済学部の前身)の柔道部の後輩たちが武運の祈りを込めて寄せ書きをしていた。「OBONソサエティ」スタッフで同学部卒業生の山本貴久さん(61)=熊本市=が大学の先輩と気づき、力が入ったという。
 「贈松尾」と名字しか書かれておらず、山本さんは同窓会の協力を得て、寄せ書きした後輩の名前や柔道部の対戦表などから昇さんと特定した。返還式に駆け付けた山本さんは「先輩はとても柔道が強かったようだ。柔道部の後輩もきっと喜んでくれるはず」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。

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