住基情報・個人情報を行政が勝手にやりとり 自衛隊員の募集の違法性を問うた調査報道 (毎日新聞 2003年)[ 調査報道アーカイブス No.34 ]

激変する東アジアの安全保障や災害対応などの面から、自衛隊はすっかり国民に浸透した。その半面、自衛隊員は定員に満たない状態が続いている。どうやって若者を確保するか。その狭間で、この問題は起きていた。

防衛庁(現防衛省)が自衛官募集のため、適齢者の情報を住民基本台帳(住基台帳)から抜き出して提供するよう、37年簡にわたって全国の自治体に要請し、多くの自治体が協力していたのである。この事実は毎日新聞が2003年4月に報道した。最終的に500以上もの市町村が法の枠を逸脱し、提供してはいけない個人情報も提供していたことが判明する。毎日新聞の鮮やか調査報道だった。

取材を担当したのは、大治朋子記者を代表とする取材チーム。一連の取材は2003年度の日本新聞協会賞を受賞した。大治記者は前年も「防衛庁による情報公開請求者リスト作成問題」で同じ賞を受賞しており、2年連続の受賞となった。

取材のきっかけは、NPO法人「情報公開クリアリングハウス」の講演会で、同法人の理事によるこんな発言を聞いたことだったという。

防衛庁が自衛官募集の目的で、自治体に対して適齢者に当たる高卒者情報を住基台帳から抽出し、名簿をコピーして提供するよう要請している。規定以外のプライバシー情報も提供されている。

住基台帳法で閲覧が許されるのは、氏名、住所、生年月日、性別の4情報だ。防衛庁が自治体の窓口で4情報を書き取った後、高校生らに募集要項などを郵送しているのであれば問題はない。しかし、自治体による適齢者情報の抽出やコピーの提供、4情報以外の情報提供は法律違反ではないのかー。そうした疑問から取材は始まった。

 防衛庁は全国の自治体に対し、実際にはどんな要請をしていたのか。大治記者はまず、それを知るため、「適齢者情報」の提供依頼文書を入手した。自治体への要請は、自衛隊法施行令に基づく行為だったが、施行令の当該条文は4情報以外の情報についての具体的な定めはない。このため、防衛庁の要請を断っている市町村もあった。


 大治記者らの取材チームは、さまざまな内部文書を入手していく。その中に、自衛隊石川地方連絡部と石川県が作成した市町村向けの自衛官募集マニュアルがあった。そこには、4情報以外の個人情報についても、市町村から自衛隊側に提供するとの取り決めがあった。
 4情報以外の個人情報には、「世帯主との続柄および世帯主名」「職業、健康状態など募集上参考となる事項」があった。個人の機微に関わる、極めてプライベートな情報が、当人の全く預かり知らぬところでやりとりする仕組みができていたのである。実際、七尾市は保護者名を記載した適齢者名簿を地方連絡部に提供していたことも突き止めた。

 「自衛官募集に住基情報」「健康状態など『18歳リスト』」「防衛庁 多くの自治体協力」―。こうした見出しのスクープは、2003年4月22日の朝刊1面に掲載された。社会面には、「『家庭環境までも…』 父母ら憤りの声」「自治体『要請断れない』」といった見出しが並んだ。
 記事の中には、複雑な家庭環境のため、高校3年生の子どもの住所を一時、親類宅に置いていた母親の声が掲載されている。

 「家庭環境まで推測できる名簿を市役所が自衛隊に渡していたなんてショック。名簿は売られてしまうかもしれない。許されないと思う」

 記事が掲載されると、当時の石破茂防衛庁長官は「4情報以外は保護者の名前でも入手していいものではない。健康状態を入手することはあってはならない」と発言。間もなく、防衛庁は「情報収集は4情報に限定」という事務次官通達を出した。
 また防衛庁は当初、4情報以外の個人情報が提供されていた自治体数について、「332市町村」と公表していたが、毎日新聞の全国調査の結果、2度にわたって公表数字の訂正に追い込まれる。4情報以外も提供していた自治体数は、最終的に「557市町村」に達した。

 大治記者は2003年10月15日の毎日新聞朝刊「取材の現場から」でこう書いている。

 自衛官の募集は重要な任務で、多様な手段を用いてよい、という声もある。しかし、だからと言って、「多少の犠牲を払っても国民が納得するのは当然」という感覚であってはならない。本籍や続き柄を秘しておきたいという人は少ないかもしれないが、行政機関による情報収集は、そのような人々にも配慮する必要がある。
 今春、個人情報保護法が成立した。行政機関は所管する法令にとらわれず、同法の趣旨に反する法令や運用がないか、自ら検証する必要がある」

 「官」による個人情報の取り扱いには、粘り強く子細な監視が必要―。この調査報道は、その重要性を伝えている。

■参考URL
毎日新聞の紙面
上智大学における大治朋子記者の講演資料と記事コピー(上智大学のサイト)

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