金メダル前日から〝後光〟がさしていた荒川静香さん 公式練習ですべてが完璧だった

トリノ五輪で金メダルを獲得した荒川静香さん(東スポWeb)

【取材の裏側 現場ノート】眠気がぶっ飛ぶオーラだった。2006年、イタリアで開かれたトリノ冬季五輪フィギュアスケート女子シングル。ショーットプログラム(SP)を終え、首位のコーエン(米国)、2位のスルツカヤ(ロシア)にわずかな差で3位につけた荒川静香さんがフリーでの逆転を目指し、パラベラ競技場で最終組の公式練習に臨んだ。

睡眠不足の記者は、会場の自動販売機で買った2・5ユーロ(当時300円ほど)のエスプレッソを片手にリンクを見つめていた。すると視界に、1人だけポップアップしてくる選手がいた。荒川さんだ。3回転の連続ジャンプなどを優雅にこなす。コロコロ転ぶスルツカヤさんらと異なり、すべてが完璧。生き生きとしたエネルギーに満ち溢れ、明らかに後光がさしていた。「あー、これはきたな」。日本選手団はここまで大不振。「金メダル出そうですよ」とデスクに報告した。

この頃、フィギュア界は五輪年齢制限問題に直面した浅田真央さんや、高校生の安藤美姫さんら10代スケーターに注目が行きがちだった。荒川さんは周囲の喧騒に惑わされず、用意周到に金メダルへの道を歩んだ。大胆にもコーチを大御所タチアナ・タラソワ氏から、新採点方式を研究しつくすニコライ・モロゾフ氏に変更。勝つため、得点を取るための方策をすべて取り入れていた。

結果、フリーでイタリアオペラの名曲「トゥーランドット」を演じ、見事に逆転金メダル。「こういう人が勝つんだな」と改めて思った。記者が見た後光は、人事を尽くしてきた自信が、体に留まりきれず、あふれ出ていたのだろう。

現在、日本スケート連盟副会長を務める荒川さん。結果を出すマネジメント術を知る女王の手腕に、今後も期待したい。

(一般スポーツ担当・中村亜希子)

© 株式会社東京スポーツ新聞社