ライオンズの若き龍・綱島龍生選手の活動報告 〈22〉「引退」決断 感謝胸に次へ

 10月25日、球団から来シーズンの契約をしないことを通告された綱島龍生(21、糸魚川白嶺高出身)。4年間というプロ野球人生に終止符を打った。

 10月上旬、ファームの公式戦終了後、宮崎フェニックス・リーグに参加していた綱島は24日の試合終了後、2軍マネジャーに呼ばれ「明日、帰京してください」と告げられた。

 まだ試合が続いているこの時期にそう言われるということは、〝そういうこと〟。すぐに察しが付いた綱島は「自分の中で何かが吹っ切れた気がしました」と話したように、心のどこかで野球人生に区切りを付ける覚悟を決めていたのだという。

本拠地メットライフドームで綱島(球団提供)

 球場で荷造りをしていると、松井稼頭央2軍監督がその横を通った。「監督、明日帰ります」と言った綱島に「打撃も守備も良くなってきているな。気を付けて帰れよ」と、とてもシンプルな言葉を掛けた松井2軍監督。これまで打撃に力を入れてきた綱島にとって、それはうれしい言葉で忘れられないものとなった。

 翌25日、チームから〝戦力外通告〟を受け、今後は育成選手としての契約を考えていると打診されたものの、現役引退という道を選んだ。その理由は「入団した時から、西武で要らないって言われたら野球は辞めるって決めていました」というもの。「ライオンズに獲ってもらったので、ライオンズで終わると決めていたし、実際に通告されても他のチームでのプレーは想像できませんでした。家族をはじめ周囲からは、もうちょっとやれるんじゃないか、とか言われましたが、でもこれは自分の中でずっと決めていたことだからと言って、納得してもらいました」とその時のやり取りを振り返った。

 通告後は、一晩を寮の自室で過ごし、目が覚めた朝はいつもと変わらなかったというが、「もうバットを振らなくていいのか、練習ないんだと、ポッカリ穴が空いたような不思議な気持ちになりました」と、今まで必死に目の前の白球に食らい付いてきた生活だっただけに、言葉では表すことができないような感情を持ったという。

今季、1軍戦での綱島の走塁(同)

 これまでの4年間を振り返り、「甲子園出場経験のない僕に期待してくれたことはうれしかったですが、それに応えることができなかったことが悔しいです」と正直な気持ちを吐露した。「でも僕なりに必死に食らい付いて、毎日悔いのないように過ごしてきました。糸魚川から出てきて、分からないことだらけの僕に、チームメートはたくさんのことを教えてくれて、ここまでのライオンズの日々には感謝しかありません。一番の思い出はやっぱり、同期の平良(海馬)と一緒に1軍の舞台に立てたことです。あとは、先輩や後輩からかわいがられて、イジられて。ここでの毎日は楽しかったです!」と、とても力強く話した綱島からは達成感のようなものを感じた。

 下積みが長かったからこそ、応援してくれるファンの存在のありがたみを全身で感じた4年間。「苦しい時期には皆さんからの応援を力に変えることができました。そして、今年少しだけ1軍出場できたのは地元の皆さんの応援のおかげだと思っているので、短い間でしたがありがとうございましたと伝えたいです」と全国のファン、また地元・新潟への感謝の言葉で締めくくった。

 プロ野球の世界からは一度退くが、綱島にとって野球とは〝相棒〟だ。「僕の中にないと駄目で、切り離すことはできないし、一緒にいて当たり前なもの。これからも、どんな形でも野球に関わっていきたいと思っています」。人生の第2章でも、綱島龍生と野球がどこかで交じり合い、来年以降の綱島がまた違ったステージで未来輝くことを信じたい。(西武ライオンズ広報部)

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