捜査中の事件に調査報道で“疑義” 冤罪を未然に防いだ「深谷市議選・選挙違反事件」報道 毎日新聞(2011年5月) [ 調査報道アーカイブス No.36 ]

◆無理やりの“自白” 住民が次々と取材に証言

虚偽証言強要の疑い 埼玉県警
深谷市議選・選挙違反
買収事件19人に 接待「無料で」と調書

2011年5月26日、毎日新聞は朝刊1面(東京本社版)でこんな大見出しを掲げた。統一地方選の埼玉県深谷市議選で、有権者28人を接待したとして市議(当時67歳)と妻(同64歳)が逮捕された事件に関する報道だ。2人の逮捕容疑は公職選挙法違反(供応買収)。市議は選挙の告示前、深谷市内のレストランに支持者を集め、票の取りまとめなどの選挙運動をする報酬として1人当たり数千円分の飲食を提供したという容疑だった。

ところが、接待された有権者のうち取材に応じた20人全員が、毎日新聞さいたま支局の取材に「レストランでは会費を支払った」と証言したのである。

同じ日の社会面には、次の見出しを掲げた記事も掲載されている。

「うそ言えば帰れる」 埼玉県警証言強要の疑い

「会費払ったのに」 住民、厳しい聴取に疲れ」

記事には住民20人の証言内容も一覧表で記載されている。飲食の無料接待を受けたことを認めないと家に帰さない、調書にサインしろ…。いずれも、警察の過酷な取り調べを訴えており、中にはあまりの厳しさに精神を病んでいく住民もいた。一部を引用しよう。

男性  楽になりたくてうそをついた。正しく生きてきたのに。悔しくて泣いた。
男性  朝から晩までの取り調べを連日受けた。
男性  「サインしないと帰れないぞ」と言われたので、仕方なくサインした。
男性  一日中、4日間調べられ、耐えられずサインした。
男性  高齢の母の面倒もあるので認めた。事を荒立てたくなかった。
男性  否定され続けると、自分の気持ちがわからなくなる。
男性  農作業に支障が出始め、会合に出席していない人まで呼ばれ始めたので認めた。
女性  下痢になり、署の男子トイレで用を足した。あの場から逃れたかった。
女性  正義なんてない。何を言ってもダメ。精神安定剤がないと眠れなくなった。

この報道の凄みはどこにあったのか。それは第一に記事の出たタイミングである。毎日新聞が1面でこれを報じた際、市議と妻の2人はまだ地検に勾留されており、起訴か不起訴かの判断が下される前だったのだ。

日本の事件事故報道は、各地の警察記者クラブを拠点に行われている。警察からの情報が途絶えると、事件事故報道は極めて困難な状況に陥る恐れがあり、多くの報道機関は警察と“仲の良い関係”を築いてきた。「警察と記者は一心同体」「ペンを持ったおまわりさん」と称されることも少なくない。

したがって、捜査中の事件に対し、事実をベースにして真っ向から疑義を問う報道はほとんどない。不法な捜査や冤罪をめぐる報道も「裁判になってから」が圧倒的に多い。冤罪を暴いた調査報道として名高い鹿児島県の志布志事件も判決前の報道とはいえ、「裁判になってから」の取材である。起訴前・捜査中の段階では、警察発表を鵜呑みにして報道を続けていた。

深谷市議選をめぐる毎日新聞の報道は違った。捜査中の事件に対し、「警察の捜査はおかしい。事件は無実じゃないのか」と真っ向から疑義を唱えたのだ。結局、逮捕されていた市議と妻は不起訴になる。住民も立件されなかった。取材を担当した記者たちは「冤罪を防いだことになると思います」と胸を張った。では、その取材はどのようにして成し遂げられたのだろうか。


◆「警察の言う通りに記事にしていたらと思うと……」

当時、さいたま支局のデスクだった石丸整氏は、2012年に東京で開かれた「調査報道セミナー」において、取材のプロセスを明かしている。それによると、「県警が住民を呼んで朝から晩まで脅しをかけて調書を取っている」という端緒情報をつかんだのは、入社3年目の記者だった。その後、支局の若手記者数人で取材を進めていく。実際に住民に会うと、全員が「無料接待されていない」「会費を払った。市議側から領収書ももらっている」と言う。これでは、市議による供応買収は成り立たない。

ところが、当然ながら県警は自信たっぷりだ。「鹿児島県の志布志事件以降、選挙違反の着手は厳しくなっているんだ」「選挙違反は県警個別の判断ではできない。警察庁捜査二課に相談した上で着手している」「市議らを逮捕したということは、固い証拠に基づいているからだ。起訴できなければ現職の市会議員は逮捕しない。あやふやな事件ではない」。そうした言葉が県警幹部から戻ってくる。記者たちも「やはり、逮捕イコール有罪は固い。有罪が固いということは、会合出席者、住民が会費を払っていないのだし、そういう住民が厳しく取り調べられるのは当然だ」と感じていた。

それでも支局記者は取材を続けた。会合出席者28人を割り出し、入院中の1人を除いて全員に取材をかけた。その住民の中に70代の高齢女性がいた。その女性に取材したのは、ネギ畑の中。アポなしで農作業中の女性のもとを訪れたのだ。作業の手を休めることなく取り調べ時の様子を語っていく。その姿を目の当たりにして、記者は「このおばあちゃんが語っている内容こそが真実だ」と直感したという。

住民側の取材を終え、証言強要は間違いないとの判断に至った。それでも、最後の最後まで記事掲載を逡巡していたと記者たちは明かした。取材メンバーだった当時入社5年目の記者は、こう語っている。

警察にも「むやみに捜査をかく乱したいわけではない。ぼくらの取材が間違っていたら教えてくれ」と迫ったけど、「確たるものはあるよ。でも言えない」を繰り返すだけだった。「書いたら毎日は終わるよ。住民にはめられているよ。うちは自信があるから絶対に勝つ」と県警に言われ続けた。

取材チームはレストランにも何度も行き、県警が描くような形での飲食が可能だったのかなども検証し、記事掲載に踏み切った。デスクだった石丸氏は言っている。

警察の話だけを聞いていたら、何が起きていたのかということに気づかないまま、逮捕されていた市会議員が起訴されて、裁判でうやむやになって注目されない事件になっていたのだと思う。他社も(警察が証言を強要しているという)噂があるぞ、ということは掴んでいたけど(実際にその取材には)入っていない。取材したのは毎日だけです。われわれは普段、警察の情報をもらって記事を書いているから、警察の情報と違うことを書くのは難しいと思っている。だから元々、そういう(警察発表の枠から外れる)ところには取材に行かないということが問題としてある。

冤罪事件を捜査段階でなかなか見抜けないのはなぜか。それは、警察がどういう証拠に基づいて立件しているのか分からないからだ。警察がしっかりした物証を持っているかもしれず、(報道に踏み切るには)怖いところがある。それと、報道自体が警察情報に頼っている問題。情報源を警察以外に持っていないからだ。これが捜査段階で冤罪事件を見抜けない理由だと思っている。警察報道全般の問題点でいうと、裁判なら被告側と刑事事件だと検察側双方の意見を聞いて書くことができるけど、警察の場合は、逮捕された時に一方的な情報しか手に入らないし、容疑者の供述も警察側から取るしかない。

日本の事件報道は、ほとんどが警察・検察の捜査側からの情報によって成り立っている。それが「人質司法」と呼ばれる悪弊が生きながらえている一員は、そうした報道の姿勢にあると言ってもいい。その歪みを放置したままでいいのか。毎日新聞さいたま支局の若手記者たちが担ったこの調査報道は、一見些細な、一地方の選挙違反事件の裏側を徹底取材することで、警察取材が抱える構造的な課題にも回答したのだった。

■参考URL
現代新書「冤罪と裁判」(今村核著)
単行本「雪ぐ人 冤罪弁護士・今村核」(佐々木健一著)
単行本「メディアは私たちを守れるか?―松本サリン・志布志事件にみる冤罪と報道被害」(木村朗編集)

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