スペインの女子プロサッカークラブ、レアル・ウニオン・デ・テネリフェ(現在2部リーグ)は5月、異例の発表をした。所属する堂園彩乃選手(31)が妊娠中で、2021〜22年シーズンの大半をプレーできないと見込まれるにもかかわらず、契約を更新したのだ。堂園選手のプレーに対する高い評価に加え、ジェンダー平等を尊重するチームの姿勢が後押しした。
豊かな才能を持っていても、妊娠や出産といった人生設計のため選手生命が限定されがちな女子スポーツ界に、勇気を与える契約。堂園選手は「『子どもは引退後』が常識と思いがちだけど、私のような選手が出てくれば変わっていくのでは」と語る。8月に長女を出産し、子育てをしながら復帰を目指す。(共同通信=吉川良太、三浦ともみ)
▽目標に向かって
堂園選手は鹿児島県出身。小学生のとき、友だちに誘われてサッカー少年団に入り、楽しさを知った。なでしこリーガーが夢になり、中学でもサッカー部に所属。男子が主力だったが「引け目は感じなかった」。県の女子代表チームにも選ばれた。
高校は県内の強豪、神村学園に入り、08年、浦和レッズレディースに入団した。「試合に出たい」「ゴールを決めたい」と次々に目標が生まれ、「止まらずに走り続けているような感覚だった」という。
浦和では7年間、中心的MFとして活躍し、20歳以下日本代表入りや二度のリーグ優勝も経験した。ところが、チームを引っ張る立場になった5年目のころ「何のためにサッカーをしているんだろう」と悩むようになった。
▽二度の引退、でも
男子選手と女子は年俸の水準が大きく違う。当時はサッカーをしながら工場で働いていた。地元を離れ、独りで暮らし、サッカーと工場での勤務を両立させる厳しい生活が続く。
年下の選手たちはかつての自分のように熱い向上心を持ち続けているが、そんな中に自分がいることが「申し訳ない」と思うようになっていた。
「応援してくれる両親やサポーターを悲しませたくない」とその後も踏ん張ったが、14年に24歳で引退。翌年、地域リーグだった千葉のオルカ鴨川から熱烈なオファーを受け「チーム昇格まで」を条件に一度は現役復帰したが、半年で約束を果たし、ピッチを離れた。
▽今しかできない
引退後はストレッチ専門店に勤務したが「海外でプレーしたい」という昔からの夢が消えることはなかった。
「チャレンジしないと後悔する。今しかできないことをやろう」。16年春、スペインへ渡りプロテストを受けた。合格。「本気でやりたいことなら、こんなに行動できるんだと私自身が驚いた」
最初はスペイン語も英語も分からず、練習場に辞書を持参して言葉を覚えた。厳しさを覚悟していたが「そんなに思い詰めてサッカーをしなくていい。毎日が楽しくて、苦労とは感じなかった」と振り返る。いくつかのクラブで活躍し、プライベートでは日系ペルー人で日本語教師の男性(39)と巡り合った。
▽活躍、そして妊娠
20年、アフリカ大陸の北西沿岸、大西洋上に浮かぶスペイン・カナリア諸島のテネリフェ島にある現クラブと契約した。17年に男子日本代表の柴崎岳選手が所属したクラブのある島だ。スペイン本土とは約千キロ離れているが、温暖で豊かな自然が広がる。イギリスやドイツなど世界中から多くの観光客が訪れ「ヨーロッパのハワイ」とも呼ばれる。堂園選手も「景色も人の温かさも、全てに一目ぼれした」と島の魅力にとりつかれた。
新天地では「美しいプレーで決定機をつくり出すチームの支え」と絶大な信頼を得た。チームに溶け込みゴールを次々と決めていた時、妊娠が判明。「子どもがいる私を必要としてくれるのか。サッカーを続けられるのか。びくびくしながら報告した」
▽チームが支える
批判覚悟で報告すると、会長や監督、仲間たちは「おめでとう。何も心配しなくていい。全力でサポートする」と温かく受け入れてくれた。
契約を更新し、休暇も保障。住居も選手たちがシェアするアパートから、クラブが提供する家族居住用のマンションの部屋に移った。「心から安心した。2部のクラブによる支援は経済的に簡単ではない」と感謝している。
ラケル・デルガド・ゴンサレス副会長兼ゼネラルマネジャーは取材に、堂園選手への信頼を語った上で「(クラブは)常にジェンダーの平等を尊重し、女性が母親になる決断を支援している。契約更新にも疑問は全くなかった」と述べた。
復帰への道は始まったばかりで、今は散歩がトレーニング。パートナーの男性やフィジカルコーチ、トレーナーらと相談しながら、来年1月のチーム合流を目標にしている。「両立は難しいと思うけれど、楽しくやっていけたらいいな」と笑顔を見せた。
▽なでしこケア
男子選手と大きな経済的格差があり、結婚や出産などもある女子サッカー選手が自立し、後に続く子どもたちに夢を持ってもらうには、どうすればいいのか。
日本では、現役女子選手たちが設立した一般社団法人「なでしこケア(なでケア)」の活動が注目を集めている。「選手が自ら行動すること」を基本に女子選手の自立を促しながら、ジュニア世代の支援といった社会貢献に取り組む。
代表理事はドイツのプロサッカークラブ、バイエルン・ミュンヘンに所属し、東京五輪で女子日本代表チームのキャプテンを務めた熊谷紗希選手。「女子サッカーを、多くの少女が夢見る職業にしたい」と語る。
▽憧れの選手に質問
「サッカーが私に与えてくれた一番のものは、人との出会い。世界中に友だちができた」。9月下旬、サッカーをしている小中学生の女子約20人が参加したオンライン交流イベントで、熊谷選手はドイツからこう語り掛け、「応援してくれる家族への感謝の気持ちを忘れないでね」と付け加えた。
憧れの選手の言葉に、子どもたちは熱心に聞き入った。質問時間になると次々と手を挙げた。「トップレベルに求められるものは」「ミスを引きずってしまう」「小柄で競り負ける」…。
熊谷選手は「自分の最大の武器を迷いなく生かせる選手」「今するべきことに意識を向けること」「体を当てるタイミングを意識すれば勝てる」と一つ一つ丁寧に答え、励ました。
▽安心できる場所
なでケアは19年7月に発足。企画や運営は選手が自ら担い、交流会や女子高サッカー部員との対談などを手掛ける。
「困ったときに安心して相談できる場所を」という思いで、ホームページ上にオンライン相談室も開設した。中高生なども含めた女子チームに所属する選手らを対象に、サッカーを舞台にしたセクハラやいじめなどの相談を受け付けている。悩みを聞くのは選手たちで、弁護士や専門家のサポート体制も整えた。
現役選手のキャリア構築も支援し、プロとして生活するための勉強会を開いている。なでケア創設者で、ジェフユナイテッド市原・千葉レディースの大滝麻未選手は「女子サッカーの普及と選手自身の成長を目指している。将来は妊娠や育児といった女性にまつわるキャリア、ライフステージのサポートも手掛けたい」と話している。(※大滝選手は取材後の11月5日に男児を出産しました)