レフティーモンスター・小倉隆史 わずか1年で東京V解雇の「仕方ない」理由とは

将来の代表エースと期待されていた小倉(東スポWeb)

【多事蹴論(19)】元日本代表FW小倉隆史はなぜ東京Vを解雇されたのか――。高校サッカーの名門として知られる四日市中央工高(三重)の出身で「レフティーモンスター」と呼ばれた小倉は1993年のオランダ留学を経てJ1名古屋で活躍し、2001年に東京Vへ加入。すぐにレギュラーへ定着し、26試合(3得点)に出場したものの、わずか1年で戦力外通告を受けた。

当時小倉は28歳。まだ肉体が衰え始めるような年齢ではなかった。それだけにシーズン途中からチームを指揮し、小倉を重用した小見幸隆監督も「できれば、来年も残してほしい」とスター選手の来季残留を熱望。イレブン間でもまさかの解雇に「これだけ試合に出てもクビにされるんだ」とクラブへの不信感を募らせるなど、大きな波紋が広がっていた。

チームが低迷したとはいえ、なぜ、小倉は戦力外になったのか。最大の要因とされるのはJ1残留争いを繰り広げるなど低迷したチーム事情による影響だ。

同シーズンにクラブは本拠地を川崎から東京に移転。しかし松木安太郎監督が指揮を執ったチームは序盤から低迷し第1ステージ最下位で解任され、後半戦は小見監督がチームを率いた。その一方で、クラブは2部降格を阻止するため、ブラジルからFWマルキーニョス、さらに元同国代表FWエジムンドを緊急獲得。助っ人の活躍もあって、なんとかリーグ最終節で残留を勝ち取ったものの、FW勢の途中加入でポジションがだぶついたことが小倉が押し出された理由とみられている。

しかし、実は別の原因も指摘されていた。シーズン中に、小倉が東京Vのクラブスポンサーを務めるA社の看板を蹴ったことが解雇につながったというのだ。自身のふがいないプレーに怒りをあらわにし、目の前にあった看板を蹴り上げたが、くしくも、その試合は長年クラブを支援してくれているA社のスペシャルマッチデーだった。社長をはじめとする役員らがスタジアムに集結。某有名女優らも招待して試合を観戦するなど年に一度の大舞台だった。クラブ側によると、A社サイドは自社のロゴの入った看板を蹴られたことに嫌悪感を示していたという。

イレブン間ではシーズン中から「オグはヤバいみたい。スポンサーの看板を蹴ったから」とささやかれていたほど。当時の東京V幹部は常時出場していた小倉の戦力外について「今年の戦力と来年の戦力は違うということ。監督が残留を望んでいる? われわれ(フロント)は来年に向けて全力で新しいチームを編成する」と説明していた。

戦力外となった小倉は「仕方ない」と肩を落としていたものの、その後は札幌や甲府でプレーし、05年シーズンで現役を引退。大ケガなどもあり思うような活躍ができない時期もあったが、多くのファンの記憶に残る好プレーヤーだった。

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