重厚なアフリカンジャズロックを聴かせるジンジャー・ベイカーズ・エアフォースのデビューライヴ盤『ジンジャー・ベイカーズ・エアフォース』

『Ginger Baker’s Air Force』(’70)/Ginger Baker’s Air Force

ブラインド・フェイス解散後、ジンジャー・ベイカーがリーダーとなって、エリック・クラプトン以外のブラインド・フェイスのメンバーに、グレアム・ボンド、デニー・レイン、クリス・ウッド(トラフィック)らを加えた10人編成のジャズロックグループがジンジャー・ベイカーズ・エアフォースである。今回取り上げるアルバートホールでのライヴ盤『ジンジャー・ベイカーズ・エアフォース(以下、GBA)』は彼らのデビュー盤であり、LPでは2枚組でリリースされた。クリームの「トード(邦題:いやな奴)」やブラインド・フェイスの「ドゥ・ホワッツ・ユー・ライク」の新解釈カバーも含め、ライヴならではの白熱した演奏が収められている。当時の花形だったギターではなく、ホーンセクションのインタープレイを聴かせるのがこのグループの特徴である。

スーパーグループ、クリーム

エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーの3人によって66年に結成されたクリームは、ブルースとベイカーふたりの確執によりその活動は3年弱しか続かなかった。しかし、彼らがロックを急激に進化させた革命的なグループであったことは間違いない。卓越した3人の力量は、この後のロックの“即興を軸にした楽器演奏中心”という方向性を示唆し、ジェフ・ベック・グループ、レッド・ツェッペリン、グレイトフル・デッド、オールマン・ブラザーズらに、その演奏スタイルは受け継がれていく。

グレアム・ボンドの功績

GBAにも参加したグレアム・ボンドはアレクシス・コーナーやジョン・メイオールと並んで、ブリティッシュロック界で活躍する多くのアーティストを育てた教師のような存在である。エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーをはじめ、コロシアムのディック・ヘクストール・スミス、ジョン・ハイズマン、フリートウッド・マックのピーター・グリーン、ストーンズの面々、ロッド・スチュワート、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジらはこの3人の師匠のもとで修行し、それぞれの音楽を見出していくことになるのだ。

3人の中で最も若いグレアム・ボンドは、自身がリーダーを務めるグレアム・ボンド・オーガニゼーションを率いてR&B;やジャズを演奏していた。1963年に結成されたこのグループにはボンドの他、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカー、ディック・ヘクストール・スミス(コロシアム)、ジョン・マクラフリン(マハヴィシュヌ・オーケストラ)という凄腕のメンバーたちが在籍していた。彼らは皆、ボンドのもとで腕を磨き、後にクリームやコロシアムといったロック史に残るグループで活躍する。

ジンジャー・ベイカーのスタイル

クリームのメンバーの中で最年長のジンジャー・ベイカーは、結成時からジャズのテクニックとアフリカのリズムを混ぜ合わせた独自のスタイルを形成しており、ロックにおけるドラミングの基礎を築いた名プレーヤーである。

66年末にリリースされたクリームのデビューアルバム『フレッシュ・クリーム』所収の「トード」は、前後に短いテーマがあるだけで、それ以外はドラムソロという構成になっており、ロック作品でドラムソロが登場した最初期の例となった。この時、ベイカーの手数の多いスタイルはすでに確立されているのだから、まさにロックドラムの先駆と言えるだろう。また、この曲はライヴテイク(68年にリリースされた『クリームの素晴らしき世界(原題:Wheels Of Fire)』所収)はスタジオ盤と比べ3倍以上の長さになっている。ベイカーはダブルバスドラムを駆使して、ジャズ的なフレーズというよりはアフリカのリズムに影響されたポリリズム的なリズムを叩き出しており、この頃すでに後のGBAの構想を練っていたのかもしれない。

クリーム解散後

クリームの分裂後、ジンジャー・ベイカーはクラプトン、トラフィックのスティーブ・ウィンウッド、ファミリーにいたリック・グレッチという4人のメンバーでブラインド・フェイスを結成するものの、アルバム1枚をリリースするだけで解散する。その理由はクラプトンがアメリカ志向の音楽を極めたいと考えていたからである。彼は緊迫したライヴの即興演奏より、歌を中心にしたレイドバックサウンドをやりたかったのだ。

クラプトンとは逆に、ベイカーとウィンウッドはブラインド・フェイスの音楽に可能性を感じており、特にアルバム『ブラインド・フェイス』の最後を飾る15分にも及ぶベイカー作「ドゥ・ホワッツ・ユー・ライク」は、メンバー全員にソロがまわるなど、ベイカー、ウィンウッド、グレッチの3人はこの曲に見られるジャズロック的なスタイルを推し進めたいと考えていたのである。そういう意味では「ドゥ・ホワッツ・ユー・ライク」のサウンドこそが、まさにGBAの基礎となっている。

GBAの結成

ベイカーはグループをギター中心にはせず、ホーンセクションとパーカッションを複数使いたかったので、ウィンウッドの人脈からテナーサックスとフルートのできるクリス・ウッドを呼び、オルガン&アルトサックスのグレアム・ボンドとドラム&パーカッションにはフィル・シーメンとレミ・カバカに加入を呼びかけた。ギタリストはデニー・レインに決まり、シーメンとレコーディング経験のある管楽器奏者のハロルド・マクネアーの加入も決定、当時クリス・ウッドが交際していたジャネット・ジェイコブス(のちに結婚する)を女性ヴォーカルに据えてGBAは結成された。

本作 『ジンジャー・ベイカーズ・ エアフォース』について

GBAの記念すべきデビューアルバムとなる本作は、1970年1月にロイヤルアルバートホールで行なわれたライヴの模様を収めたもので、LP時代は2枚組でリリースされるも、長尺曲が多いために収録曲は8曲のみである(10分以上のナンバーが5曲を占める)。

「ダ・ダ・マン」「アイコ・ビヤエ」はアフリカンジャズロックとでも言うべき白熱した演奏となっており、ウィンウッドのオルガンをはじめボンドらによるホーンもノリまくったプレイを聴かせる。トラッドの「アーリー・イン・ザ・モーニング」や「マン・オブ・コンスタント・ソロウ」では珍しくリック・グレッチがエレキフィドルでのソロを披露している。お馴染みの「いやな奴(原題:Toad)」はベイカー、シーメン、カバカのトリプルドラムによる演奏で、これまでで最も迫力あるパフォーマンスとなった。また、「君の好きなように(原題:Do What You Like)」はジャズファンク的なテイストが感じられる演奏になっていて、ブラインド・フェイス時代とはまったく性質の違うアプローチを試みている。

GBAの先進的で重厚なアフリカンジャズロックは当時のアーティストたちに大きな影響を与え、中でもスティーブ・ウィンウッドに関しては、このライヴの参加したことがトラフィックの再編に果たした役割は大きい。

グループの面子からしてGBAは一時的なセッションと思われがちだが、この後、メンバーを大幅に入れ替え(ウィンウッドとクリス・ウッドはトラフィック再編のため抜けている)、2ndアルバムとなるスタジオアルバム『ジンジャー・ベイカーズ・エアフォース2』(’70)をリリースする。ここでも濃厚なアフリカン・ジャズロックは健在なのだが、クリームの「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」のカバーが収録されているのはご愛嬌。

TEXT:河崎直人

アルバム『Ginger Baker’s Air Force』

1970年発表作品

<収録曲>
1. ダ・ダ・マン/Da Da Man
2. アーリー・イン・ザ・モーニング/Early in the Morning
3. ドント・ケア/Don't Care
4. いやな奴/Toad
5. アイコ・ビヤエ/Aiko Biaye
6. マン・オブ・コンスタント・ソロウ/Man of Constant Sorrow
7. 君の好きなように/Do What You Like
8. ドゥーイン・イット/Doin' It

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